塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

パルセイロ、テレビ中継のジンクスをやぶり3-0で完封勝利

2017-09-24 17:44:40 | 日記
 長野パルセイロ・ファンの間では

 「テレビ中継がある際の勝率が著しく低い」

 というジンクスがあります。

 今日はアンダー23ガンバ大阪との一戦が長野朝日放送で中継されましたが、前半はそのジンクスがあたったかのような、じれったい試合ぶりで僕以外にもテレビ前でじりじりしていた方は多いと思います。

 ただ結果は3-0の完封勝利、3点目は途中出場の背番号10宇野沢が決めるなど、良い兆候が見えましたが、僕は感じたのは監督の視線の先です。

 浅野さんは今季、バック4とバック3を併用しています。

 これは対戦相手によってパルセイロの長所を生み出すためではないと感じます。

 監督はバック4を希望しているが、選手の特性はバック3の方が活用できる、その狭間での形がこの併用ではないかと思いますね。

 阪田、松原、寺岡、内野、大島というようにセンターバックは頭数が揃っています。

 少なくとも岩沼の左足からのチャンスボールを活用するには、彼を4の左ではなく5の左で使うべきでしょうし、同じことは西口にも言えると感じた次第です。

 今日も得点を決めた萬代はホーリーホックからの期限付き移籍ですが、僕は是非ともホーリーホックを掛け合って来季も契約を結ぶべきだと思います。

 打点の高いヘディングシュート
 ポストとして基準点となる

 だけでなく、前線の選手で一番悔しい、何で出来ないんだ!!と自分と仲間を叱咤するその姿勢は、再契約して通年活躍してほしいとファンに訴えています。

 FWの駒もセンターバック同様豊富のように見えますが、ここは人員整理が必要と監督は捉えている気がします。

 単純な戦術ですが、3-5-2で左の岩沼からのクロスを萬代がヘディングする、もしくはポストプレイをセカンド・ストライカーは狙う、わかりやすくても得点につながる空気が見えることが大切ではないか。

 そんな気がします。
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厳選された衣類、そしてアスレティック・ビルバオ

2017-09-24 13:57:17 | 日記
 しばしば指摘される事柄に、定年退職を迎えた男性が翌日から何をしていいかわからず、おろおろしてしまうという話があります。

 仕事で全力を尽くすのはサッカーも同様ですが、その男性たちも合間に余暇を楽しんでいたはずなのに、自分という存在をその中で見つけられなかったのでしょうか。
 
 僕のようにひとりぼっちですと、傍らには常に本があり、朝刊が届く瞬間がささやかな楽しみ、というように俯瞰して今の自分を見ることができます。

 時間の有効活用もそうですが、

 「背広以外の服を着たことが無い」
 「出かける際、果たして何を着用すべきか、そもそもどの店舗にむかうべきか」

 という話もあるくらいですから、根は深いところにありそうです。

 服装だけに関して言えば、20年以上自分の中で、ああでもない、こうでもないと格闘してきましたが、ここにきてようやく

 「ああ、これだけを今後も必要とすれば良さそうだ」

 というものが見え始めてきました。

 サッカークラブでも移動着にブレザーを用いることがありますが、確かに公の場、仲間で集う時もブレザーは凄く重要だと思いますね。

 これだけあればいい。
 数ではなく質で選びたい。

 つまり厳選した衣類を購入するには、やはり60歳を超えては遅い、僕のように無駄を知りながら10代あたりから関心を持つべきでしょうか。

 サッカーでも、アスレチック・ビルバオのように頑なにビルバオのアイディンティティを求めるクラブを見ると

 「おお、頑張れよ」

 と声をかけたくなります。

 彼らは隣のクラブ、レアル・ソシエダのように人材を海外に求めることがありませんし、本当に地域限定で選手をスカウトします。

 ビルバオはこれまでアンブロ、ナイキ、そしてニューバランスとスポンサーが変わっていますが、あの白と赤の縦じまの鮮やかさは、いつの時代でも変わりません。

 ビルバオは現在のサッカーにおいて、セルバンテスの「ドン・キホーテ」のような風体ですが、だからこそ尊重される気がします。
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貧しいことを語ることを別角度から思う

2017-09-24 01:31:30 | 日記
 ブラジルも最近はサッカースクールで育成が多く見られるようになりましたが、それでもなお、ストリートサッカーは大切な場所です。

 リバウドのように練習場までのバス代をねん出できず、片道20キロメートルを毎日徒歩で通ったという記事を読むと、どう表現してよいのかわかりません。

 片道20キロは、千曲市から長野市までの距離であり、車でも混雑していれば45分はかかると思います。

 僕はリバウドに限らず、

 「子供ながらに選手として成功し、両親に家をプレゼントする決断をした」
 「貧しいながらも、両親が懸命に働いてスパイクを購入した」

 という話、美談ではないと思うのです。

 日本も現在、社会保障制度を維持するためどうするべきか、子供手当、教育無償、そして年金支給の年齢など、財源と共に様々な議論があります。

 それでも現在の英国のように、金持ちとそうでない階級の間で、寿命に隔たりがあるわけではなく、恵まれている部分は多いですよね。

 識字率があるために、新聞や読書が可能である
 学校に通って教育を受けられる

 これらのことはあたり前のようでいて、そうではありません。

 逆に言えば、ブラジルが今でも貧しい暮らしを余儀なくされる家庭、スラムの問題が指摘されるのは、ブラジル政府の政策がずっと適切ではなかったことを意味します。

 サッカーだけに希望を見るのは、僕は得策ではないと思うんですよね。

 ブラジルやアルゼンチンの選手は鼻高々に

 「日本人にはマリーシアがない」
 「ルールの範囲ですべきことをしろ」

 と語りかけます。

 しかし、だからこそ彼らの国ではサッカーから離れたところで、旅行者をだます輩が後を絶たず、麻薬、偽札、汚職が後を断たないとも感じます。

 サッカーが多少へたくそでも、毎日3食口にできる生活の方が有難いと思いますが、だからこそ南米の選手はそれを求めて海外に行くわけですが。
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全てを投げ捨て隠遁したいという気持ち

2017-09-24 01:05:34 | 日記
 JDサリンジャーの代表作と言えば「ライ麦畑でつかまえて」になります。

 僕は一度手に取りましたが、訳文との相性が良くなかったのか、読み進めるのが困難だったことを良く覚えています。

 サリンジャーは晩年、完全な隠遁生活を送ったため、推測に基づく様々な評伝が記されましたが、彼本人の内面はどうだったのでしょうか。

 よく言われることに、ケネディ大統領とジョン・レノンを殺害したと言われる人物両名が、いずれもライ麦畑で捕まえての熱心な愛読者だったため、サリンジャーが大きく傷ついたという指摘がありますね。

 僕は当然この事件が心理的負担を与えたと思います。

 それ以上にサリンジャーが、原稿料、執筆、小説の題材、出版社との均衡、すべてにおいて疲れ果て、従って

 「自分らしくあるための生活」
 「人間関係でこれ以上煩わしい思いをするのはカンベン」

 と感じた、それが隠遁だったと推測します。

 インターネットが無く、本も書店でしか買えない時代でもこれだけのストレスをサリンジャーが抱えていたとすれば、現在の作家が苦痛に感じる内容は、更に増していると感じます。

 サッカーも代理人、監督、選手、ファン、そして会長も思いが常に交錯します。

 例えばネイマールがウルグアイ代表カバニと口論した、謝罪したという話がありますが、こうした人間関係のほころびをメディアがつつくようになると、好成績は見込めません。

 それ以上に移籍金と報酬の額が桁外れであり、ネイマールは年間通じて超人的な活躍を見せなければ、常に批判の対象となります。

 選手生活を太く、長く続けるべきか、ジダンのように潔く退くかは選手が決めることですが、ネイマールが

 「もう止めたよ」

 と吐露するようになれば、その時改めて選手の健康と金の問題が取り上げられることでしょう。
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