塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ブラジル、チッチに代表監督をゆだねる

2016-06-17 00:22:41 | 日記
 セレソンの監督人事が「チッチ政権発足」でまとまりそうな気配ですね。

 ブラジルは監督人事に限らず、どこかのんびりと物事を決めるという印象がありますが、やはりリオ五輪直前で監督が空席であるわけにはいきません。

 ただ、様々な媒体が指摘しているように

 「CBFそのものが生まれ変わらない限り、意味は何もない」
 「監督の交代だけで変化は生まれない」

 という側面が伝わってきます。

 サンパウロのような育成に長けたクラブが、近年目立たない点を見ると、ブラジル全土でも育成は滞っているのでしょうか?

 これは極論ですが、セレソンの主力がスペインやイタリアではなく、中国やウクライナのように

 「高い報酬を提示するクラブ」
 「上位クラブと下位クラブに力の差がありすぎる」

 リーグでプレイしていることも問題なのかもしれません。

 ブラジル・ワールドカップで優勝できなかったこと、ドイツに1-7で破れたこと、名手と呼べる存在がネイマールだけ、という現状の中に、ブラジルの経済問題もあると言えます。

 過去のセレソンが多くの支持を得たのは、経済そのものが潤っていないことや、軍事独裁、強烈なインフレなど

 「サッカー以外の何か」

 が無かったこともあるでしょう。

 よくカズがブラジル時代を回想する際、給料を米ドルで扱っていたという記載がありますが、今は多くの娯楽がありますし、スマートフォンで世界各国のサッカー事情が確認できます。

 代表キャップの問題もありますが、恐らく守備陣ではマルキーニョス、攻撃陣ではウイリアンとドラグス・コスタがネイマールを支える形になるのでしょう。

 果たしてチッチは自分の決断に自身がもてるでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

監督という因果な商売

2016-06-17 00:08:19 | 日記
 監督というのは因果な商売ですよね。

 昨日発売のワールド・サッカーダイジェストでは、巻末の各国記者によるコラムの中で、

 「モウリーニョはユナイテッドにそぐわない」
 「ジダンは運が良かった」

 という論調の記事が掲載されていたと記憶していますが、難しいところではありますよね。

 例えばジダン。

 選手として監督として、欧州最大の名誉であるチャンピオンズ・リーグ優勝を2度ももたらした人物の傭兵に対して、やはり批判や意見することは勇気がいります。

 一方でベニテスにあれだけ批判を繰り返したことを考慮すれば、この応対の温度差には不公平感が否めない、という側面もあるでしょう。

 確かにモウリーニョは長期で下駄を預けることはできないでしょう。

 また、常に指摘されている

 「3年目の成績不振」
 「次第に主力と軋轢が生まれる」

 という点も否めません。

 それでもファーガソン引退後、あれだけの資金と費やし、同時にアディダスとシボレーの契約をまとめあげても、肝心の成績が昨シーズンのFAカップ優勝だけでは、やはり我慢できないわけです。

 バルセロナも

 「エンリケの戦術はクライフ、グアルディオラとは別物」

 という指摘がありますが、彼らがしっかり優勝していることは確かです。

 ナイキとの長期契約も確定し、より財政も安定するでしょうしね。

 僕は監督のように、人を束ねることが出来ない人間ですが、皆が監督という存在にこれだけ関心を集めるのは、それだけ

 「人を束ねること」
 「人の心を読み取ること」

 に憧れをいだいているためでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする