塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

監督という因果な商売

2016-06-17 00:08:19 | 日記
 監督というのは因果な商売ですよね。

 昨日発売のワールド・サッカーダイジェストでは、巻末の各国記者によるコラムの中で、

 「モウリーニョはユナイテッドにそぐわない」
 「ジダンは運が良かった」

 という論調の記事が掲載されていたと記憶していますが、難しいところではありますよね。

 例えばジダン。

 選手として監督として、欧州最大の名誉であるチャンピオンズ・リーグ優勝を2度ももたらした人物の傭兵に対して、やはり批判や意見することは勇気がいります。

 一方でベニテスにあれだけ批判を繰り返したことを考慮すれば、この応対の温度差には不公平感が否めない、という側面もあるでしょう。

 確かにモウリーニョは長期で下駄を預けることはできないでしょう。

 また、常に指摘されている

 「3年目の成績不振」
 「次第に主力と軋轢が生まれる」

 という点も否めません。

 それでもファーガソン引退後、あれだけの資金と費やし、同時にアディダスとシボレーの契約をまとめあげても、肝心の成績が昨シーズンのFAカップ優勝だけでは、やはり我慢できないわけです。

 バルセロナも

 「エンリケの戦術はクライフ、グアルディオラとは別物」

 という指摘がありますが、彼らがしっかり優勝していることは確かです。

 ナイキとの長期契約も確定し、より財政も安定するでしょうしね。

 僕は監督のように、人を束ねることが出来ない人間ですが、皆が監督という存在にこれだけ関心を集めるのは、それだけ

 「人を束ねること」
 「人の心を読み取ること」

 に憧れをいだいているためでしょうか。
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