塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

選手と妻、そして恋人たち

2016-06-04 00:38:43 | 日記
 そのテレビ朝日が金曜日の23時15分から放映している「不機嫌な果実」が、来週遂に最終回を迎えます。

 これはご存じのように林真理子氏の原作をもとに脚本を起こしており、(僕は原作を読んでいません)過去に石田ゆり子さん主役でドラマ化しています。

 独身の僕でも唸るくらいですから、既婚者の方はより唸りながら見ていたのかもしれませんね。

 「私だけが損をしている」

 というつぶやきは、現代社会の誰もが感じているはずですし、だからこそ2度も映像化されたのでしょうね。

 僕が思うに夫と妻の問題は、サッカーの世界でも多くの問題を引き起こします。

 例えば2006年のイングランド。

 代表監督のエリクソンは、選手が妻、恋人とできるだけ会える機会を設けましたが、逆にメディアが漬け込む形で面白おかしく記事にしてしまい、大問題となりました。

 4年後はその反省点を考慮し、厳格なファビオ・カペロを迎えるも、既に合宿地のオーストリアで選手たちは疲れ切っており、思うような事前準備ができませんでした。

 つまり

 「ふり幅が大きすぎる」

 事もまずいわけです。

 ブラジルやアルゼンチンは、当然ワールドカップの決勝に進んで当然と考えます。

 ですから、代表監督や広報担当者は、記者からの

 「恋人、家族とはどの程度の間隔で合わせる予定ですか?」
 「選手は1カ月もの間、性欲を堪えられるでしょうか?」

 という大真面目な表情に、これまた大真面目に答えるわけです。

 こうしてみると、独身で結婚など永久にできそうにない僕は、ある意味凄く恵まれているような気がしてくるので、本当に不思議です。
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家族が移籍先に馴染む、馴染まないという問題

2016-06-04 00:28:02 | 日記
 結果的に、テレビ朝日は得した形になるのでしょうか?

 昨日のブルガリア戦、テレビカメラは何度か彼が「アモーレ」と認める女性を映し出しましたが、7-2というスコアも含めて派手な形になったことは確かです。

 僕個人はほぼ毎日イタリア語の教科書を読んでいますが、イタリア語そのものは他の言語よりもとっつきやすい、と感じます。

 ただ正直言いまして、妻の存在は必ずしもプラスになるとは言い切れない。

 これもまたサッカーには付き物です。

 ハヴィエル・マスチェラーノがバルサに移籍する際

 「僕たちもやれるだけのことはしたと思う」
 「でも、妻は英語にもリバプールの街並みにも馴染めなかったんだ」

 と語りました。

 つまり、クラブとしては必要な戦力には高い報酬を払う分、当然家族にも、その土地をよく知ってほしいと願うと思います。

 これが思った以上に難しいわけです。

 この事例とは反対なのは、バイエルンのリベリです。

 「ドイツ・ワールドカップの時から、好印象を抱いていたよ」
 「今では妻も子も、ミュンヘンにすっかり馴染んでいるからね」

 と語るように、やはり、選手から見て家族は馴染んでいることは、防犯を含む日々の生活に安定が得られる、というわけです。

 僕個人は長野県と山梨県にしか住んだことはありませんが、それは隣県ということもあり、スムーズに生活が出来ました。

 もし、サッカー選手と結婚する男女がいるならば、やはり語学を真っ先に学ぶ必要があるでしょうね。
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