塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

エスパルス、トッテナムに見る監督力

2010-05-02 00:02:55 | 日記
 エスパルスが昨年、そして今年と優勝争いに絡んでいるのは、フロントが長谷川監督との契約を継続している事も大きいと思います。グランパスエイトもピクシー政権になって今年で3年目ですし、アントラーズとガンバに関しては言わずもがな。ですね。

 僕は時々代表、クラブ関係なく満足のいく結果が残せないのであれば、欧州を真似て監督はすぐに解任すべきなのか、それても堪えるべきなのか、考える事があります。

 勿論契約期間を満了して両者が握手をして別れることが一番だと思いますが、プロの監督ならば心のどこかで「解任」という言葉を常に意識していると思います。また特定の監督に固執していると、2009年のトリニータのように、避けられた可能性のある降格が現実の物となってしまいます。

 例えば昨シーズンのプレミアリーグ。ファンデ・ラモス政権下で2分け6敗と出だしで躓いたトッテナムが、カンフル剤として同じプレミアのポーツマスと契約していたハリー・レドナップを引き抜き、最終的には8位でシーズンを終えました。

 僕達日本人には契約下にある監督を、同じリーグの他のクラブから引っ張ってくる発想がまずありませんよね。レドナップを手放したポーツマスを考えはわかりませんが、契約下にありながら「イエス!」と答え移籍したレドナップはもっと凄いと思います。

 日本も優勝を狙うには、そして降格を回避するには、これくらい思い切った監督の交代を行うべきなのかもしれませんが、実現したとしてもファンとメディアからの突き上げが凄そうですし、やはり日本には定着しないかもしれません。

 でもそれくらい監督の影響力は凄い物だと、この例は僕たちに教えてくれています。
 日本サッカー協会はそのことを理解していますかね?
コメント
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