ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



ねえ、よくわかんないんだけど、なんで宗教なの。なんで信仰なんてしてるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の仏陀』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

そう、当然のことでもあろう。
生まれてきた赤子は、
自分の父がだれであり、母がだれであるかを、
知ろうとするではないか。
父母なるものを知ることなくして、
人間として生まれ、育つことは、
この上なく悲しい事実である。
教えられなくとも、
小さな小さな赤子は、
母を求めて泣くではないか。
そうして、父の名を呼び、母の名を呼び、
自分を庇護するものが、いったいだれであるかを、
知るではないか。
それは教えられてではない。
生きているということ自体が、
生きてゆくという行為そのものが、
生かされていることを知るということ自体が、
みずからの親がいったいだれであるかを、
知ろうとするのだ。
そうであるならば、
川に流るる流木ならばいざ知らず、
生命ある、血のかよった人間であるならば、
みずからの生命が、だれによりて与えられたものであるかを、
知りたいと願うのが当然であるのだ。

そして、魂の親である仏を知った時に、
もはや、子供である人間は、
その親の名を呼ばずして、生きてゆくことはできなくなるのだ。
したがって、目覚めたる人間たちは、
「仏よ、仏よ」と、
毎日、その名を呼びて、やむところがない。
まるで、赤子が、毎日、父母の名を呼ぶように、
「仏よ、仏よ」と呼びて、
そして、その言葉を語ることに飽きることはないのだ。

あなたがたも、
この地球という小さな星に生まれ落ちたる、
ささやかな生命たちではないか。
そうであるならば、
求めよ、求めよ。
あなたがたの親に、
あなたがたの魂の親に、
求めるがよい。
すべてのものを求めるがよい。
すべてのものが与えられるであろう。
いや、与えられているであろう。
与えられていることに気づくには、
親の存在を知ることだ。
仏の名を呼ぶことだ。
(22~27ページ)

うーん。なるほど…、です。

ここで言葉を足す必要はないように感じます。

今日は、この仏の語られる言魂を、心で受け止め、じっくり味わってみたいと私は思っているのです。
 

『永遠の仏陀』

 大川隆法著

 

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