「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

吟詠を終へたる少女曼殊沙華 池田智惠子

2020-12-13 06:04:09 | 日記
吟詠は、漢詩や和歌を中心に、俳句・新体詩・現代詩など、詩の型に捉われず、さまざまな詩に節をつけて歌う邦楽のひとつ。ルーツは『古事記』や『日本書紀』の時代にあるといわれ、漢詩の読み下し文を詠んで学ぶ手法が現代の吟詠の母胎となっているそうです。昭和に入り、老若男女に親しまれるようになり、又、吟詠の大衆化に尽力した方々がいらして、四十三年に日本吟剣詩舞振興会が設立され、以来、この伝統芸道を国民芸術として発展させるためにコンクールの開催や若手の育成に努めているといいます。実は「吟詠」と「少女」に、「俳句」と「若者」ほどの距離感を感じて調べるに至ったのですが、幼いころから、ピアノのお稽古をするように毎日の積み重ねの必要な伝統芸能でした。故人への尊敬が「曼殊沙華」かと思いました。「吟詠」を聴いた事のない私が句の鑑賞をしていいのかと迷ったのですが、何度も読むうちに、
「曼殊沙華抱くほどとれど母恋し 中村汀女」 
が思われて、「吟詠を終へたる少女」は作者の回想のなかのご自身で、母恋の句のような気も致しました。(博子)