「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

雪山の奥に飢ありかごめ唄 菅原鬨也 「滝」12月号<飛沫抄>

2012-12-12 05:51:13 | 日記
雪山の飢えに合わされたのは「かごめ唄」。以前「階の会」
で「はないちもんめ」が謙題になったことがあり、その時、
「花一匁」が人買いの唄だというお話があり、「子取ろ唄」と
も言うことを知りました。その時一緒に調べた「とうりゃん
せ」は人さらいの唄でした。掲句の「かごめ唄」は説がたく
さんあり、よく分かりませんでしたが、今回は意味と言うよ
りはその歌詞から、本来の生きる場所である山という「籠」
を出て、「夜明けの晩」という、何時なのか特定できない時間
に、千年も万年も生きるとされる「鶴と亀が滑った」という
のですから、不吉な出来事とか、時代が大きく変わったとか
言う事を思ってもいいのかもしれないと思いました。鳥獣の
生息環境の悪化がもたらした飢えは、ほら、「後ろの正面だあ
れ?」と、その手で覆っていた目を開いてよく見なさい。人間
がもたらしたのですよ。と、言われているような気がしました。
例えば、しまく雪に吹かれ、樹の枝にいるニホンザルの飢えな
どを想像すると、暖房機の音が強く聞こえ、目覚めのコーヒー
が殊更苦いような気がしてまいります。(H)