ロシア語同時通訳者、翻訳家、エッセイスト、作家の米原万里氏の読書日記と書評をまとめた2006年10月上梓の本。この年5月にはすでに氏は亡くなっていた。まずはちょっと抜き書き。
「毎日、何十人もの負傷者がアタギに運ばれてきた。外科医の私ですら、これほどの凄まじい身体内部の損傷は見たことがなかった。大腸や小腸をはじめ、肝臓や腎臓や生殖器がまるでひき肉のように潰されていた。どれもこれも殺傷性の高い破砕性爆弾によるものだった」(ハッサン・バイエフ著『誓い』《天野隆司 訳 アスペクト》
まともに訓練も受けず行き先さえ本人にも家族にも知らされずに派遣されてきたロシア兵は傭兵たちに虐待されていて、著者が彼らの脱走を助けるスリル満点な話も出てくる。
引用の引用になってしまったけれど、これはウクライナの話ではない。引用した本の著者はチェチェン人医師でロシア人チェチェン人の区別なく患者を助けようと全力を傾けたひと。
米原万里という人のことは知らないで面白い本が見つからないかと借りてよみはじめたら、はっきりとものを書くかたで面白い。ちょっと調げてみた。
日本共産党常任幹部会委員だった衆議院議員・米原昶の娘としで生まれる。父親の関係で娘時代にチェコスロバキアでロシア大使館付属の学校でロシア語で授業をうける。帰国後もロシア語の勉強をつづけ通訳となる。またTBSのテレビ番組『ブロードキャスター』にコメンテーターとして出演していた。 というので写真をみたら見たことがある人だった。
ということで育ち方からして政治色にも強く、またロシアについての本の紹介が多いけれど、一般の本に対しても鋭い感覚があって、難しい本は飛ばして気に入ったのを拾い読みしていく。記述の中にはプーチンの本性をすでに見抜いている記述もあある。
もう一つはすでに亡くなっていしまっているが、その闘病の経緯がこの日記にもつづられているのでそちらの方を負うことにした。
2003年10月、卵巣嚢腫の診断を受け内視鏡で摘出手術すると、嚢腫と思われたものが卵巣癌であり、転移の疑いがあると診断される。近藤誠の影響を受けていた米原は開腹手術による摘出、抗癌剤投与、放射線治療を拒否し、いわゆる民間療法にて免疫賦活などを行う。1年4ヶ月後には左鼠径部リンパ節への転移が判明し、手術を提案されるが拒否。温熱療法などを試みる。( ウィキペディア)
癌だと先行されてこの人はインターネットと出版物を調べまくっている。そしてこれは信ぴょう性があるとかこれはインチキだとかじぶんんで判断していく。『患者よ、がんと闘うな』 近藤誠 著に一番影響をうけて抗がん剤治療は拒絶しようと心に決めたと記述がある。
このころこの本は非常に影響力があったのを思い出す。その後の抗がん剤の進歩を今だったら彼女はどう表現するのだろうか。
またこのクリミアでの出来事をどのように表現するのだろうか。
転移がみつかり抗がん剤治療も受けているのであるが、この日記の2006年2月3月5月の部分(5月分は2006年5月18日に週刊文春に掲載されたが
氏は5月25日に亡くなっている)は”癌治療本をわが身を以って検証”という16ページになっていて、何とも凄まじいジャーナリスト魂である。
私も興味があった分野だから新た見えてその部分を整理してみよう。