JAZZ最中

考えてみればJAZZばかり聞いてきた。いまもJAZZ最中。

わたしの開高健 細川布久子

2011-07-26 21:43:42 | 


雑誌「面白半分」に入り、望むべくして開高健の担当編集者としてなり、私設秘書みたいな存在にまでなった女性が描く内容は、評伝ではなく、あくまで開高健に対しての、敬慕の本。

開高健についを語るなどという事は無理ですが、話すときは何かを気取りたい、ほんの一言でもカッコ良い言葉を挟みたくなります。
又、人々が開高について語る時も鋭い一節を探してしまいます。
この本もそんな気持ちで読み始めましたが、ここには気取りはありません。
担当編集者として、一歩ひかえたそれでいながら、開高の内を感じ接する中でのエピソード、それがこの本の流れですので、いつもの抜粋は致しません。
ただ女性ならではの鋭いカンで、妻である牧子と健との関係の真実を語っているようです。
私設秘書として、多くのことを飲み込みながら、開高の紹介での就職によってうまれた軋轢、そして思わぬ開高の反応、ここのところはちょっと抜粋させていただきます。

「あの時、私は、初めて、開高さんの小心さにぶつかったのかもしれない。そして、開高さんを知って以来、初めて、傷ついた。開高さんが見えなくなった。私の内で何かがひっそり崩れていった。」

このことで、少しずつ距離が生じます。就職先を去り、フランスに渡った著者、この本は布久子の開高健に対しての敬慕の書ということに変わりはありませんが、通して読み終われば、開高にみちびかれた細川布久子の成長の記録となっているのです。
後半の彼女と思いと、開高との距離、そして現実の彼女の部分に人間の成長を感じます。
最終章で彼女に起こることは、神様が仕掛けたお遊び、心素直で居ると気がつく偶然の喜び、このようなことあるのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする