昨日の朝日新聞に、「リレーオピニオン 休みは気から 7 田中優子さん 江戸も休み休み働く」という記事がありました。
休むことについて、各界の方に考えを述べてもらうシリーズの7回目です。
江戸文化の田中優子・法政大学教授は、江戸時代の人は、日曜日こそありませんでしたが、仕事の途中で上手に休んだり遊んだりして、結果さえ出せばOKという文化だったのだそうです。
土日の休み、昼休みという概念は、西洋から明治時代に入ってきたものです。
江戸時代は、「働く」と「休む」の区別があいまいでした。
農家は、田植えや稲刈りを除くと、作業は作物の成長に合わせて行います。
武士は、登城日(お城へ行く日)以外は、他藩の武士と交流したり、内職したりしていました。
職人は、全員フリーのようなもので、頑張るかだらだら過ごすかは自分次第だったそうです。
商人は、売掛金を取りに行くなど外出も多く、途中でけんかや相撲を見物したりしていて、主人や番頭も結果さえ出せば黙認していました。
一番の出世コースは、「成功した家の婿養子に入ること」だったそうです。
特に商家は、店の存続を考え、有能な使用人をよく養子に迎えていました。
仕事中に適当に遊ぶことが認められたいたのは、江戸時代の人が商売は専門知識だけでなく、同業者と酒を飲んだり芝居を見ることでコミュニケーションを取るという能力が有用であることを知っていたからということです。
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興味深い記事です。
最後のコミュニケーションの話は、営業をしているのですね。
フランクリンの時代のアメリカでは、いかに効率的に行動するかが推奨されていたのと比較すると、違いが面白いと感じました。
(洋服のボタンは、上から閉めたほうがいいのか、下からとめたほうがいいのかとか、あります)
婿養子は、日本の100年以上続いている企業が、たまたま続けて娘ばかりが生まれたので、使用人の中から婿養子を取ってきた結果、会社自体がよい経営に恵まれ、続いてきたと紹介されていたのを思い出しました。
権力争いをすることなく、優秀な経営ができる人材をトップにつけることができたからだそうです。
江戸時代の人たちの日常生活を、具体的に知ってみたいと感じました。
休むことについて、各界の方に考えを述べてもらうシリーズの7回目です。
江戸文化の田中優子・法政大学教授は、江戸時代の人は、日曜日こそありませんでしたが、仕事の途中で上手に休んだり遊んだりして、結果さえ出せばOKという文化だったのだそうです。
土日の休み、昼休みという概念は、西洋から明治時代に入ってきたものです。
江戸時代は、「働く」と「休む」の区別があいまいでした。
農家は、田植えや稲刈りを除くと、作業は作物の成長に合わせて行います。
武士は、登城日(お城へ行く日)以外は、他藩の武士と交流したり、内職したりしていました。
職人は、全員フリーのようなもので、頑張るかだらだら過ごすかは自分次第だったそうです。
商人は、売掛金を取りに行くなど外出も多く、途中でけんかや相撲を見物したりしていて、主人や番頭も結果さえ出せば黙認していました。
一番の出世コースは、「成功した家の婿養子に入ること」だったそうです。
特に商家は、店の存続を考え、有能な使用人をよく養子に迎えていました。
仕事中に適当に遊ぶことが認められたいたのは、江戸時代の人が商売は専門知識だけでなく、同業者と酒を飲んだり芝居を見ることでコミュニケーションを取るという能力が有用であることを知っていたからということです。
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興味深い記事です。
最後のコミュニケーションの話は、営業をしているのですね。
フランクリンの時代のアメリカでは、いかに効率的に行動するかが推奨されていたのと比較すると、違いが面白いと感じました。
(洋服のボタンは、上から閉めたほうがいいのか、下からとめたほうがいいのかとか、あります)
婿養子は、日本の100年以上続いている企業が、たまたま続けて娘ばかりが生まれたので、使用人の中から婿養子を取ってきた結果、会社自体がよい経営に恵まれ、続いてきたと紹介されていたのを思い出しました。
権力争いをすることなく、優秀な経営ができる人材をトップにつけることができたからだそうです。
江戸時代の人たちの日常生活を、具体的に知ってみたいと感じました。