しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

後月郡芳井町の暮らし

2019年12月29日 | 暮らし
これは後月郡芳井町宇戸川の昭和10年代のこと。

2019年12月22日、義母の話

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提灯切り(ちょうちんぎり)

春先に筍といっしょに煮物にして食びょうた。
大根を提灯切して竿に干しょうた。
独特の切り方で、
表と裏に二へん切る。
片方は垂直に輪切りして、こんどはひっくり返し半分はななめにして切りょうた。
ほしたら提灯みたいになりょうた。
薄い・厚いがないように包丁がはいっとる。


松根油

30年からうえ経った古い松の根っこには油がいっぱいある。
根が深いけぇ。そこから油をとりょうた。
昭和18年か20年頃はしきりに使わりょうた。
その油が何に使われたかは知らないが、工業用の油に使うようた。


奉安殿

(後月郡芳井小学校には)
分校が、宇戸川と河合と天神と三つあった。
4年まで分校で勉強して、5年生から本校へいきょうた。
宇戸川分校に奉安殿はなかった。本校だけ。
奉安殿の思い出はあんまりない。
後日同級生らと話したが、うちらの学校は、その前でお辞儀をするとか、そんな記憶がない。
式の時には、いつも校長先生が白い手袋をして舞台にあがり
教頭先生からうやうやしく「教育勅語」が入った三宝から手にとり読んでくださりょうた。。



とうふ汁(豆腐汁)

冠婚葬祭、特に葬式の時はお膳につきものじゃった。
ごはんと、とうふ汁と、こうのもの。
今でいう味噌汁でなく、
アブラアゲだけ入れて、あとは青いものをちょっといれたもの。
普通は味噌汁、
ゴボウや野菜を入れておかずを入れて
具のひとつじゃった
とうふ汁とは呼ばなんだ。
豆腐は、
各地区に豆腐屋ゆうもんはあった。
さはんじに食びょうた。
朝早ようから作りょうたんで、お鍋をもっていっちゃあ買ようた。
自転車で売って歩くようになった。
そうこうしょうたら、スーパーができて、小売りはしないようになった。


生魚

お刺身は、「好きな人はお父さんが町へ行っての帰りに買ぅてきた」というんはあったが。
ごく一般は、お客をするときに大きい魚を買うてきてさばいてお刺身を作りょうた。
お祭り、正月、お盆。年に三回ほど。
春さわら。
正月にはブリ。
お祭りはさわら
年に3べんは、どんなうちでもそうしょうた
つなし
このしろ
いづし・・・まんまを詰みょうた。
ままかりは寿司
このしろが多かった。お祭りがほとんどじゃった。
祭りがおもじゃった。


こんにゃく

灰汁(あく)を、蕎麦柄を燃やして水に搗けて凝固剤にしょうた。
こんにゃく芋は、
ゆでで、つぶして、大きい入れ物の中に中にいれて、少しづつソバの灰汁をいれてこにょうた。そうしたら大きぅなりょうた。
伸ばすときに、大きい入れ物に入れて灰汁をいれて、
伸ばしようが少ないと固くなったり、伸ばしすぎるとやわくなる。
そして茹でて作りょうた。

こんにゃく糊。
こんにゃく糊は知らんが、
こんにゃく芋は持ちが悪いんで、切ったこんにゃくを乾燥させて、粉にして、そりょうをこんにゃくに使ようるのは聞いたことがある。


♪母さんんのあかぎれ痛い 生みそをすりこむ、・・・それ、ほんと?

あきぎれには薬があった。軟膏があった。
(管理人の時代はワセリンが、ヒビの薬だった)


DDT

DDTは畳の下へ粉を振ったのは覚えとるが、頭にふった記憶はない。
子どものときは、よそから貰ぅて繁殖したのはあった。


コメント
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