天満屋サテライトスタジオで舟木一夫を見た
今もそうではあるが、当時(昭和50年前後)の岡山のバスターミナルといえば天満屋バスターミナルだった。
今とは勢いがまったく違っていて、表町そして天満屋が、岡山市の中央である中心地だった。
仕事で県庁に行くとき、休日に街へ行くときはバスターミナルでおり、帰りもそこから乗っていた。
人の流れが多いのでラジオ山陽のサテライトスタジオがあった。
ある日、サテライトスタジオの前を通っていたら舟木一夫がゲストで地元アナと会話をしていた。
その当時、
大歌手・舟木一夫は歌手人生のどん底の時代だった。
透明のガラス越しに見る本物の舟木一夫は、人気歌手でもアイドル歌手でもなく、顔の表情に覇気がまったくなかった。
つまり、立ち止まって見るほどの魅力がなかった。素通りした。
それから何年かして復活した。
復活して20余年経った。
よく復活したなあといつも感心する。
本人もそうだろうが、ファンも”舟木一夫”によって人生を楽しんでいる。復活ありがとう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
岡山市の名所・本郷ビル
岡山市の営業所に赴任早々の頃、
上司である課長と同乗していると、車中の雑談の感じで、岡山市内の取引先や名所や便利な場所などをおしえてくれた。
そのうちの一つ、
「あれが本郷ビルだ」と本郷金物店を指さした。東山線の日銀の向かい側に三階建てのビルだった。
「はぁ?」
「本郷功次郎の実家よね」と。
本郷功次郎は岡山県を代表する映画スターだった。
必ず「岡山朝日高校出身」と紹介された。
大映映画『ああ江田島』でスターになった。
30代になると主役でなく渋い脇役が多かったが、存在感は亡くなるまで続いた。
2013年に亡くなったが、まだ74才だった。
なお本郷ビルは今は無く、その跡地ですら判明ができない程の昔話になってしまった。
今もそうではあるが、当時(昭和50年前後)の岡山のバスターミナルといえば天満屋バスターミナルだった。
今とは勢いがまったく違っていて、表町そして天満屋が、岡山市の中央である中心地だった。
仕事で県庁に行くとき、休日に街へ行くときはバスターミナルでおり、帰りもそこから乗っていた。
人の流れが多いのでラジオ山陽のサテライトスタジオがあった。
ある日、サテライトスタジオの前を通っていたら舟木一夫がゲストで地元アナと会話をしていた。
その当時、
大歌手・舟木一夫は歌手人生のどん底の時代だった。
透明のガラス越しに見る本物の舟木一夫は、人気歌手でもアイドル歌手でもなく、顔の表情に覇気がまったくなかった。
つまり、立ち止まって見るほどの魅力がなかった。素通りした。
それから何年かして復活した。
復活して20余年経った。
よく復活したなあといつも感心する。
本人もそうだろうが、ファンも”舟木一夫”によって人生を楽しんでいる。復活ありがとう。
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岡山市の名所・本郷ビル
岡山市の営業所に赴任早々の頃、
上司である課長と同乗していると、車中の雑談の感じで、岡山市内の取引先や名所や便利な場所などをおしえてくれた。
そのうちの一つ、
「あれが本郷ビルだ」と本郷金物店を指さした。東山線の日銀の向かい側に三階建てのビルだった。
「はぁ?」
「本郷功次郎の実家よね」と。
本郷功次郎は岡山県を代表する映画スターだった。
必ず「岡山朝日高校出身」と紹介された。
大映映画『ああ江田島』でスターになった。
30代になると主役でなく渋い脇役が多かったが、存在感は亡くなるまで続いた。
2013年に亡くなったが、まだ74才だった。
なお本郷ビルは今は無く、その跡地ですら判明ができない程の昔話になってしまった。