【12ページ】
労働力を商品化して、完全に「物」のように支配することが、本来的に不可能なものであるにもかかわらず、資本は労働力を「物」のように使おうとするのである。
【14~15ページ】
私は、ヒューマニズムに対しては否定的だ。人間は原罪から免れることができないので、人間の力によって理想的な社会を構築する試みは、必ず挫折すると考えている。現状で、資本主義を人間が真面目に超克しようとすると、そこにファシズムという病が忍び込んでくることを心配している。外部からの介入なくして(キリスト教的に言えば、それが神の歴史への参与になる)、人間の社会が変容することはないと思っている。しかし、いつかその介入があり、われわれは資本主義を超克することができる日がやってくるという希望は失っていない。
【15ページ】
鎌倉先生は、〈国家の強権的なファシズムというよりは、すでに現れている新しい公共性とか社会的包摂とかに示される“民主主義の衣をまとったファシズム”の危険性を強調したい〉(本書175ページ)と述べているが、私も同じ問題意識を持っている。もっともこの視座からすれば、沖縄に対する東京の政治エリート(国会議員、官僚)の構造化された差別政策とそれに対する圧倒的大多数の日本人の無関心、沈黙は、既に「民主主義の衣をまとったファシズム」が顕在化し始めている例と私は見ている。
(ken) 12ページの<資本は労働力を「物」のように使おうとする>ことは、私自身も40年以上に及ぶ職業生活のなかで痛感してきましたし、最近では住宅の売り買いに伴う当事者としての「評価(担保価値)」といったことで、資本主義の仕組みを心底実感させられました。また、14~15ページの「ヒューマニズム」がまとういかがわしさについては、高校生の頃からニーチェの著作をつうじてでしょうが、「偽物っぽいなぁ~」と感じていました。
16ページ「ファシズムの顕在化」は、沖縄問題に象徴されていることは歴然としていますが、マスコミや教育などあらゆる場面で顕在化していますね。だからこそ、「資本主義の超克」を決して諦めないことにも共感させられました。
労働力を商品化して、完全に「物」のように支配することが、本来的に不可能なものであるにもかかわらず、資本は労働力を「物」のように使おうとするのである。
【14~15ページ】
私は、ヒューマニズムに対しては否定的だ。人間は原罪から免れることができないので、人間の力によって理想的な社会を構築する試みは、必ず挫折すると考えている。現状で、資本主義を人間が真面目に超克しようとすると、そこにファシズムという病が忍び込んでくることを心配している。外部からの介入なくして(キリスト教的に言えば、それが神の歴史への参与になる)、人間の社会が変容することはないと思っている。しかし、いつかその介入があり、われわれは資本主義を超克することができる日がやってくるという希望は失っていない。
【15ページ】
鎌倉先生は、〈国家の強権的なファシズムというよりは、すでに現れている新しい公共性とか社会的包摂とかに示される“民主主義の衣をまとったファシズム”の危険性を強調したい〉(本書175ページ)と述べているが、私も同じ問題意識を持っている。もっともこの視座からすれば、沖縄に対する東京の政治エリート(国会議員、官僚)の構造化された差別政策とそれに対する圧倒的大多数の日本人の無関心、沈黙は、既に「民主主義の衣をまとったファシズム」が顕在化し始めている例と私は見ている。
(ken) 12ページの<資本は労働力を「物」のように使おうとする>ことは、私自身も40年以上に及ぶ職業生活のなかで痛感してきましたし、最近では住宅の売り買いに伴う当事者としての「評価(担保価値)」といったことで、資本主義の仕組みを心底実感させられました。また、14~15ページの「ヒューマニズム」がまとういかがわしさについては、高校生の頃からニーチェの著作をつうじてでしょうが、「偽物っぽいなぁ~」と感じていました。
16ページ「ファシズムの顕在化」は、沖縄問題に象徴されていることは歴然としていますが、マスコミや教育などあらゆる場面で顕在化していますね。だからこそ、「資本主義の超克」を決して諦めないことにも共感させられました。