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『世界共和国へ』 (その32)

2016年11月28日 | O60→70(オーバー70歳)
【162~163ページ】感情の絆
ネーションは、市民革命によって絶対的主権者が倒され、個々人が自由と平等を獲得するときに成立します。しかし、ネーションが成立するには、それだけでは不十分なのです。そのためには、個々人の自由や平等のほかに、個々人の聞の共同性が必要となります。たとえば、フランス革命では、自由・平等・友愛というスローガンが唱えなれました。その場合、「友愛」は、個々人の問の共同性を意味します。ネーションに必要なのは、まさに「友愛」という言葉で示されるような感情です。
ネーションをこのような感情(sentiments)から説明するのは、皮相な見方のようにみえます。それよりも、ネーションを民族的(エスニック)、言語的な同一性、あるいは経済的な同一性という現実的な基盤から説明するほうがましだと思う人がいるでしょう。しかし、その種の同一性は必ずしもネーションを形成しないのです。むしろしばしば、ネーション形成の妨げになります。ゆえに、ネーションについて考えるとき、われわれはむしろそれを「感情」において見るべきです。
しかし、それは問題を心理学に還元することではなく、その逆に、感情というかたちでしか意識されない「交換」を見ることを意味するのです。先に私は、たとえば罪責感のような感情には、一種の交換がひそんでいると述べました。むろん、それは互酬的な交換であって、商品交換とは違います。商品交換の場合、ひとはむしろ感情を離れて、いわばビジネスライクにふるまうことができさます。ところが、互酬的な交換に由来する感情は、金で返すことで解消できないものであり、経済的には「非合理的」なものです。

【163ページ】マルクス主義の盲点
ネーションという問題は、マルクス主義者を躓かせてきた問題の1つでした。彼らにとって、ネーションは、近代資本主義的経済構造によって生み出されたイデオロギーでしかなかった、つまり、啓蒙によって解消すべきものでしかなかった。
ところが、そのようにネーションを軽視したマルクス主義者の運動は、ナショナリズムを掲げたファシズムに屈しただけでなく、社会主義国家自体がナショナリズムを掲げ、互いに抗争するにいたったのです。

(ken) 佐藤優さんの著作で、「国策捜査の規模やターゲット、罪状は世論が決める」というお話がたびたび登場します。それは《ネーションについて考えるとき、われわれはむしろそれを「感情」において見るべき》であるとする柄谷さんの論点と似ていますね。現在の「アベノミクス」という言葉が、国民感情との「交換」としてうまく機能しているともいえます。意識されない「交換」としての感情を軽んじてはいけないと再認識できました。
また、163ページの「マルクスの盲点」については、今後とも起こり得る事態として肝に銘じておくべきですね。(つづく)
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