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茂木信太郎著「食の社会史」その6

2019年07月09日 | ここで一服・水元正介
私が長く勤務した港区三田エリアについては、江戸無血開城に向けた西郷・勝会談の地であることや、武家屋敷が多かったこと、福沢諭吉が慶応義塾を開校したこと、イタリア大使館とかオーストラリア大使館があることなど、それなりに知っていると自認していました。しかし、場や競馬場まであったことを知り、自分の知識の浅はかさを痛感させられました。

100〜101   三田四国町は、かつては大名藩邸が長い塀をつらねていたが、明治維新以降はすっかり荒廃して藪だらけの原っぱとなり、その中に、慶應義塾と、マッチ工場、場などがあった。
場の新設は、大久保利通内務卿の発意による明治政府の新事業であるが、これの開設場所は町中を離れた方が無難だという判断で、この地に設営されたものである。実は木村荘平の上京は、大久保卿の子分ともいえる大軽視川路利良の招請に応じたものであって、場の民間払い下げの密約があってのことであった。不浄の動物殺しと、食肉供給の大義との間で、世間を気にしながら場の扱いをどうするか、政府役人の苦肉の策であった。
木村は場の払い下げ後、競馬会社をつくり頭取となり、さらに1880 (明治13)年、興農競馬会社を設立する。この競馬会社は、馬匹改良を表看板に、西郷従道大将を幹事長とし、木村荘平は幹事長代理となって、三田の原っぱで春と秋の年2回、大競馬を挙行し、大競馬の2度に1度は天皇の行幸仰いでみせたという。当時の競馬は、今日のようにギャンブルの対象ではなく、貴顕淑女たちが見物する貴族階級社会演出の行事であった。彼と彼の事業のイメージアップに大いに貢献したことは間違いない。
馬は農耕生産手段であると同時に、重要な軍事力そのものである。牛肉食の奨励普及も、体力強化を狙った軍事力強化の目的意図をもっていた。ゆえに、場の運営と競馬会社の設立は、産業を興し軍事力強化に邁進する、時の政府の思惑とピッタリ一致する事項であった。(つづく)
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ニラ玉風ジャガイモ入りお好み焼き!

2019年07月09日 | ここで一服・水元正介
ベランダのニラが収穫時期を迎えていたので、今夕調理バサミを使い刈り取りました。

その作業をしていて、福島県塙町に生まれ育ち、たばこ大好きの94歳で他界した私のおばあちゃんを思い出しました。曲がった腰で、伸びたニラを包丁で刈り取る姿です。

というわけで、刈り取ったニラとジャガイモを使い、ニラ玉風ジャガイモ入りお好み焼き、というわけのわからないものを作って、美味しくいただきました。
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