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「ケータイは嗜好品である」という考え方に賛成!

2014年02月01日 | たばこの気持ち
★★★ ある業界誌に「嗜好品としてのケータイ/心理学的一考察」(金光義弘川崎医療福祉大学臨床心理学科長・教授)という小論が掲載されていました。要旨を抜き書きさせていただきました。★★★

最近、大学の大人数講義での私語がとても少なくなっている。後ろの方の席の学生はケータイを静かに触っている可能性がある。そして、時計、カメラなどの多くの機能を使いこなしているという事実も分かってきた。面白かったのは「告白」という回答。告げたくないことでも、ケータイならば誰にでも簡単に告げられる、とのことだ。
「ケータイ無しでどのくらい耐えられるか」という質問で、1カ月耐えられると答えたのは80人中10人(12.5%)いた。しかし、1日たりとも耐えられないという者が24人(30%)。1日ならば我慢できるが1週間以上はだめという者が34人(42.5%)もいた。ケータイというツールは若者たちの生活に想像以上に浸透しているという実態が見えてきた。
行動の結果に対して与えられる報酬や罰といった刺激により、自らの反応を変容させる自発的な行動の習得を、オペラント学習という。
ケータイの使用もこれと同様、ちょっと触った時の面白さが強化刺激となり、その経験が快感となって、だんだんとやみつきになるのだろう。
2004年11月1日の道路交通法改正で、運転中のケータイ使用に対して罰則が新設された。手に持っているだけで反則金が普通車の場合6,000円(通話違反の反則金は、普通車で9,000円)である。
警察庁は「ケータイを探す手、持つ手が事故を呼ぶ」というキャッチフレーズのキャンペーンを張っていたが、問題は「手」ではない。会話や画像に気をとられながら別のことをする、という「ながら行為」が危険なのである。
嗜好品は生活に豊かさや幸福感をもたらすものでものであるが、嗜好品で享受する快楽にはコントローラーがいる。それは自分自身である。個人の責任と判断が必要であり、その舵取りは豊かな良識と適切な判断力を備えた個人に委ねられている。
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