今日は、私のおばあちゃんの命日です。
私はいわゆる「おばあちゃん子」。
おばあちゃんは、早くに夫を亡くしたので、私がいれば他に何もいらないくらい可愛がってくれました。
溺愛だったかもしれない・・・。かもしれない・・ではないね。
小さな町だったので町の人みんなが知ってるくらい・・・。未だに言われます。
私の母(おばあちゃんからすれば息子の嫁)とは、やはり他人。何処にでもあるようにうまくいっているとはいえない関係でした。
私は、幼な心に二人の関係をわかりつつも・・、どちらも好きでした。
ただ・・母からすればおばあちゃんに私を取られているような感覚があったようです。
小さな私からみれば、母は弟のものというような目でみていました。
だから母を独占する弟が嫌いでした。
嫉妬していたんでしょうね・・・。
祖母は私を自分の行くところすべてに連れて行きました。
今思うと母親は淋しかったでしょうね・・・。
社交的な祖母の傍で、私は何も話さなくても用が足りました。
自分が話すのが得意でなく人付き合いが苦手なことを自覚しだした頃、そのことを祖母のせいに思った時期もありました。
・・・反抗期ですね。
でも、無償の愛を注いでくれた祖母でした。
そんな祖母が亡くなったときのこと。
私は、この家に嫁いでいたので傍には居られませんでした。
「もっとお見舞いに行けばよかった。」
「もっとお世話すればよかった。」と後悔する気持ちでいっぱいでした。
そんな感情を持つ反面、弱っていく祖母を見たくなかったのかもしれません。
私の中では、祖母はいつも行動的で社交的な優しい人だったから・・・。
柩の中にはそんな気持ちを綴った手紙を入れました。
悲しんでいても祖母は喜んでくれない・・・そう思い直すことにしました。
私が幸せに暮らすことが祖母の幸せ・・・そう理解することにしました。
祖母が亡くなってから何日か経った頃、夢を見ました。
夢の中で、祖母が便せんとボールペンを持って私を追いかけてきます。
「○○子~。これ書いとくれ。」
夢なんだということを夢の中で思っていたので、
「おばあちゃん、おばあちゃんはもう死んだんやから、ここに来たらあかんのよ。それに、死んだ人はこんなに喋るもんじゃないんよ。ちゃんと成仏して。」
私はそう話しかけました。
そして、ふと後ろを振り返ると、おばあちゃんよりも先に亡くなっていたおじいちゃん(主人の祖父)がいました。
「ほら、おじいちゃんはこんなにおとなしくしとってやよ。」
「おじいちゃんのいるところに一緒に連れていってもらい。」
・・・そこで夢から覚めました。
不思議な夢・・・。
その時に、忘れていたことを思い出しました。
おばあちゃんは、よく私に便せんとボールペンを持ってきて提出する文書や手紙を清書させていたのです。
二十何年も前のことだったのですっかり忘れていました。
その夢から後に、伯母さん(おばあちゃんの娘)に会うことがあったので、夢の話をしました。
伯母は、おばあちゃんが死んでからずっと枕元におばあちゃんが出てきて困っていたらしいです。
それでたまらず「どこかへ行って。」とお願いしたらしいです。
私の夢に出てきたのはそれからのことだったので、娘(伯母)に言われた後、孫の私の所に来たんでしょうね・・・。
おばあちゃんが亡くなってから10年以上経ちますが、その夢を見たとき以降、おばあちゃんの夢を見たことがありません。
きっと成仏してくれたんだと思います。
思い出すことは度々あります。
私の心の中のおばあちゃんの思い出はいいことばかり。
おばあちゃんを悲しませないためにも、私は幸せでありたいと思います。
今日はおばあちゃんの好きだった「穴子鮨」をお供えに持って行きます。
私はいわゆる「おばあちゃん子」。
おばあちゃんは、早くに夫を亡くしたので、私がいれば他に何もいらないくらい可愛がってくれました。
溺愛だったかもしれない・・・。かもしれない・・ではないね。
小さな町だったので町の人みんなが知ってるくらい・・・。未だに言われます。
私の母(おばあちゃんからすれば息子の嫁)とは、やはり他人。何処にでもあるようにうまくいっているとはいえない関係でした。
私は、幼な心に二人の関係をわかりつつも・・、どちらも好きでした。
ただ・・母からすればおばあちゃんに私を取られているような感覚があったようです。
小さな私からみれば、母は弟のものというような目でみていました。
だから母を独占する弟が嫌いでした。
嫉妬していたんでしょうね・・・。
祖母は私を自分の行くところすべてに連れて行きました。
今思うと母親は淋しかったでしょうね・・・。
社交的な祖母の傍で、私は何も話さなくても用が足りました。
自分が話すのが得意でなく人付き合いが苦手なことを自覚しだした頃、そのことを祖母のせいに思った時期もありました。
・・・反抗期ですね。
でも、無償の愛を注いでくれた祖母でした。
そんな祖母が亡くなったときのこと。
私は、この家に嫁いでいたので傍には居られませんでした。
「もっとお見舞いに行けばよかった。」
「もっとお世話すればよかった。」と後悔する気持ちでいっぱいでした。
そんな感情を持つ反面、弱っていく祖母を見たくなかったのかもしれません。
私の中では、祖母はいつも行動的で社交的な優しい人だったから・・・。
柩の中にはそんな気持ちを綴った手紙を入れました。
悲しんでいても祖母は喜んでくれない・・・そう思い直すことにしました。
私が幸せに暮らすことが祖母の幸せ・・・そう理解することにしました。
祖母が亡くなってから何日か経った頃、夢を見ました。
夢の中で、祖母が便せんとボールペンを持って私を追いかけてきます。
「○○子~。これ書いとくれ。」
夢なんだということを夢の中で思っていたので、
「おばあちゃん、おばあちゃんはもう死んだんやから、ここに来たらあかんのよ。それに、死んだ人はこんなに喋るもんじゃないんよ。ちゃんと成仏して。」
私はそう話しかけました。
そして、ふと後ろを振り返ると、おばあちゃんよりも先に亡くなっていたおじいちゃん(主人の祖父)がいました。
「ほら、おじいちゃんはこんなにおとなしくしとってやよ。」
「おじいちゃんのいるところに一緒に連れていってもらい。」
・・・そこで夢から覚めました。
不思議な夢・・・。
その時に、忘れていたことを思い出しました。
おばあちゃんは、よく私に便せんとボールペンを持ってきて提出する文書や手紙を清書させていたのです。
二十何年も前のことだったのですっかり忘れていました。
その夢から後に、伯母さん(おばあちゃんの娘)に会うことがあったので、夢の話をしました。
伯母は、おばあちゃんが死んでからずっと枕元におばあちゃんが出てきて困っていたらしいです。
それでたまらず「どこかへ行って。」とお願いしたらしいです。
私の夢に出てきたのはそれからのことだったので、娘(伯母)に言われた後、孫の私の所に来たんでしょうね・・・。
おばあちゃんが亡くなってから10年以上経ちますが、その夢を見たとき以降、おばあちゃんの夢を見たことがありません。
きっと成仏してくれたんだと思います。
思い出すことは度々あります。
私の心の中のおばあちゃんの思い出はいいことばかり。
おばあちゃんを悲しませないためにも、私は幸せでありたいと思います。
今日はおばあちゃんの好きだった「穴子鮨」をお供えに持って行きます。
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