叔父の葬儀があった。
私がものごごろついた時から今まで、叔父が怒ったところを見たことがない。
なんだかふわふわしていて、あっけらかんとした叔父だった。
なんでもきっちりしないと気が済まない私の父にとっては理解しがたい人だったろうと想像する。
出会ったときには、「おおっ」と左手を高く上げいつものポーズ。
病気の商社かというくらい次々と病気になって、看病する叔母には毒づかれながらも、照れ笑いをして逃げているような叔父だった。
叔父の通夜告別式は、家族葬。
このご時世、家族葬が増えているらしい。
家族葬といってもいろいろなパターンがあるそうだ。
全くの家族だけ。
家族親戚のみ。
香料は受け取らない。
家族親戚のみで地域の人のお手伝いもいらないが、来てくださる方はウェルカム。
叔父は、そのパターン。来たい人があれば来てね。
会場は、家族葬といえどもソーシャルディスタンスを必要とするため、大きな会場だった。
ゆったりと椅子が置かれ、祭壇には端から端まで生花が飾られ、壁の両側にもたくさんの花。
棺の中の叔父は、笑っていた。
こいつ、死んでまでいい顔してるやん・・・。
叔父には、娘が3人。
孫もいる。
孫も女の子が多い家系だ。
女の子が多いって、それだけで華やかだ。
孫たちもファンキーな「じぃじ」が大好き。
病院から連れて帰られた後は、娘たちと孫たちがみんなでお世話した。
写真もムービーも、じぃじ大好きな孫がたくさん撮っていて会場では動画が流された。
亡くなって悲しいはずなのだが、笑顔もたくさん。
地域の人の席も家族よりたくさんの人で埋まった。
生前、叔父は意外なところで才能を発揮していた。
地域の祭りの笛や太鼓、獅子舞などの指導は叔父だった。
頭の中にすべての演舞が入っていたようで、夏休みの夜になると、秋に向けて子どもたちや若い人たちを集めて教えるのだった。
喪主の叔母は最後の最後のお別れで、大きな声で言った。「ありがとう。」
とても素敵だった。
外から見るといい加減な脱力感満載の叔父が、そんな家族を作り上げた。
私が死んだとき、ありがとうって言ってくれる人がいるのかなぁ。
期待はしていないけど、自分にも周りにも気持ちよく生きたいと思った。
おっちゃん、ありがとう。