厄年って、男の人は、25歳・42歳。女の人は、19歳・33歳・37歳(42歳と33歳は大厄で、その前後の年は前厄後厄。注:数え年で。)というのが、よく言われますよね。
思い返すと、37歳って微妙な年。女の人が「自分の人生これでいいのかな・・。」なんてふと思ってみたりするんですよね。思っていた人生と違う・・まだやり直せる・・etc。私の周りでも数人の友達が離婚したり別居したりと変化が多い時期でした。
私は、いろいろありましたが、そんな時期をなんとか通り過ぎたのであとは還暦まではないかな・・・。
でも、星回りとかもあるので・・・。
じゃあ、いい時って少ないやん!・・ていうことにもなりますが、厄年といわれる年は、社会的にも肉体的にも変化が生じやすい時期なので注意するようにという先人の教えなんでしょうね。
私が、厄年に入るお正月のこと。
おじいちゃんに相談しました。
おじいちゃんというのは、主人の祖父で神道教会の開祖(主人は3代目)です。
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「厄年って、何か悪いこと起こるんかなあ・・・。」
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「お前は何も心配せんでええ。ワシがええようしたる。」
私は、お正月過ぎから血圧が高くなり、微熱が続きました。病院で薬も処方してもらいましたが、なかなかよくなりませんでした。
微熱がひと月以上続き、高熱が出て丸二日寝込んでしまいました。起きあがれるようになった私と入れ替わるように、おじいちゃんの具合が悪くなり入院。
おじいちゃんは、家に帰ることはありませんでした。
入院しているおじいちゃんのお見舞いに行ったときのこと。
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「おじいちゃん、頑張って元気になってな。」
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「ワシはもうええ。それより、熱が出た後は用心せなあかんぞ。」
・・・それが私がおじいちゃんと交わした最後の言葉です。
人が亡くなるということは、大変なことです。
私は、その年になるまで人の「死」というものを経験したことがありませんでした。
「死」を受けとめるということは精神的にも体力的にもすごく労力がいることでした。
大黒柱を亡くした家族はバラバラになり、ぶつかることが多くなりました。
どうしていいかわからなくなった私は、一歳になる二男を抱いて御神殿に座っていました。
その時、意識の中におじいちゃんが現れました。私は、現実とも頭の中の出来事とも区別のつかない感じで、少しの恐怖もありましたが・・・おじいちゃんの声を聞きました。
「人を非難する前に、自分を省みよ。」
その瞬間、自分の進む道がみえたような気がしました。
おじいちゃんとは、10年に満たない付き合いでしたが、密度の濃い付き合いができたと思っています。私が主人と結婚したのもおじいちゃんが導いてくれたのではと思っています。
その時に聞いたおじいちゃんの言葉は、いつも私の中にあります。