To You 

思うこと・伝えたいこと・心に留めておきたいことetc。

よなべ

2019-10-30 13:01:40 | 趣味

夜にしていたPCのお仕事も今期はお終いということで、少し手が空くときができた。

 

テレビを見るのも楽しみだが、テレビだけ見てるというのももったいない気がして、編み物に手を出した。

以前、叔母ちゃんの知り合いに腹巻を依頼され、ひと冬腹巻を編むことオンリーで過ごしたために、もう編み物はしないぞという境地にまで至っていた。

 

 

足元の冷える冬。

あったかい靴下がほしい。

 

亡くなったおばあちゃんは、靴下カバーを編んでいた。おばあちゃんは、集めた毛糸で靴下カバーを編んでは身内や知り合いにあげていた。

毛糸なのでとてもあたたかいのだが、ひとつ言わせてもらうと足首が寒い。

そこで、足首もあったかい靴下が欲しくてネットで検索したら、猪谷さんの靴下というのがヒットした。数年前の暮らしの手帳に掲載されたものだった。ネットでは、編み方をわかりやすく説明するブログや動画もたくさんアップされていた。

で、いつか編もうとノートに編み図を写したのは一昨年。

なかなか編むところまではいかなかった。

 

必要となる道具は、5号の輪編み針2本・中細の毛糸・極細の毛糸。

 

 

ダイソーで、カラフルなかわいい毛糸を見つけたので編む気持ちになり、動画を見ながらしてみた。

が、買った毛糸はアクリル100%だったからか私の編み方のせいなのか原因は不明なのだが、編んでいるうちに恐ろしく固いものになり針を通すのにも力が要るようになり、20段ほど編んで・・・、放棄した。

 

 

やはり、毛100%のほうがいいのかな・・・、と思い、家に在った毛糸を引っ張り出して再挑戦。

 

久しぶりの編み物なのでゆっくりゆっくりだけど、形になりだした。

 

     

 

 

 

        

 

かかとの編み方が独特の物らしい。

ここまで編むにも、段数が数えられず・・・、ノートに現在の段数を書いておくといいじゃんと思い書くが、それを付け忘れ・・・、決められた目数がいつの間にかひと目増えていたり、また正しい目数に戻っていたり・・・。

現在までの努力の結果がこれだ。できたものに足と気持ちを合わせようと腹をくくる。

かかとができたので足を通してみると、フィットする。

これで足首まであったかければ最高だ。

 

靴下を編むということは・・・。

 

同じものがもう一つ

 

 

できるかどうかが、この先の課題だ・・・。

 

 

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幕開け

2019-10-26 09:30:35 | Weblog

今週は、いろんなことがありましたね。

 

ラグビーでは、とても気持ちのいい試合をみせてもらい、22日には即位礼正殿の儀。

新しい時代の幕開けです。

何とも言えない幸せな気分になりました。

 

しかし、心が折れてしまいそうになる川の氾濫。

 

なんとかならないものか。

 

陛下が長年取り組んでおられる「水」の問題。

人が生きるために必要なもの。

しかし、時には人の生命を脅かすものになる。

陛下が述べられる水の大切さが、今後益々大きな課題として取り組まなくてはいけないものになると思う。

 

気候の変化は自然に人為的な条件が加わり複雑なものになっている。その中で私たちは生きている。

私たちの生活様式が変化したのも今の状況を作っている。

山の力が作用していなくなっている。

普段、土を触っているので感じるのだが、人の手が加わったものは放置すると死んでしまう。

極端かもしれないけれど、何の根拠も持たないけど、そう思う。

手入れされない土は、保水力など全くなくなり只の物質となる。生きた植物の入っていない土は、乾きも悪く形状も異なってくる。土も死ぬ。死んだ土からはエネルギーを感じられない。

そんな山が大量の雨を処理しきれないのは山のせいでも雨のせいでもない。

循環に困難を来たしたのはやっぱり人間でしょうね。

 

自然と一緒に生きる生活ができないのかなぁ・・・。

 

 

 

 

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2019-10-10 15:12:20 | Weblog

どうしたものか。

 

 

うちの神さん。

大祓の祝詞を奏上するとき、太鼓をたたきながらする。

今は専らおじいちゃんがするのだが。

 

大祭などの時は、二人三人で執り行うので、その役割は分担される。

なので、おとうさんが太鼓をたたくときがある。

 

それが、  問題だ。

 

 

太鼓が  下手。 言い切ってしまうと気の毒だが、そのもの。

リズムは勿論だが音まで悪いとくれば、かなりの問題だ。

 

どうすればよいのか。

どうすれば人並みに聞けるようになるのか。

 

あまりにも下手なので私は祝詞に集中できない。他の人はどう思っているのか知らないが、・・・もうちょっとなんとかならないの・・・なんて、他人は言わない。

 

今のおじいちゃんも、引き継いだ時は、音に締まりがなく大丈夫かと思ったものだが、経験を重ねるうちにしっかりした芯のある音が出だした。

 

太鼓はたたくものじゃない。祝詞に自然とついてくるものだ。

そういうものらしい。

 

だが、おとうさんの場合は・・・、ついてこん。

 

自分なりに工夫もしているのであろうが、成果は出ていない。

 

考えてみた。

音楽的に拍をとってみると、一区切りに8回たたくところや7回・9回のところもあるため楽譜には書けない。

強弱もある。

利き手で一定のリズムを刻み、もう一方は合いの手のように入れたり、スネアでいうローリングみたいなものも入る。

そりゃ、むりだ。

 

そんなことをいう私はできるのかというと、したこともないしこれからすることもないであろうからわからない。

だが、

だが・・・、なんとか・・・、ならんものか。

 

あまり、意見すると本人の小さなプライドも傷つく。

 

一緒に練習してみようかと声掛けしてみたが反応がない。

時に任せるしかないのか。

 

私のイメージのなかでは、いい音が鳴っているのだが。

祝詞に合わせて刻むように右手で一分の一拍子。

これさえできれば大丈夫だと思うのだが・・・。

左手は流れに任せて。

 

頭の中ではパーフェクト。

 

きっと、おとうさんの中では現状がパーフェクトなんだろうな・・・。

 

  ・・・・(;´д`)・・・。

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