息をするように本を読む

初めて読んだ本も、読み返した本も、
ジャンルも著者もおかまいなしの私的読書記録
と、なんだかだらだら日常のことなども

つるかめ助産院

2013-10-10 13:41:54 | 著者名 あ行
小川糸 著

夫が突然いなくなった。
彼を探して南の島へとやってきたまりあ。
小さな偶然が重なって、つるかめ助産院に住み込むことになり、
まさかの妊娠を告げられる。

のどかな島の風景。ものごとにこだわらず自然に身をゆだねて生きる人々。
そしてご馳走はないけれど、そこにある恵みを大切にしてつくられる
料理の数々は本当に美味しそうで、ああ人間の基本って食べることなのだなあと思う。

しかし肝心のお産についての描写はかなりご都合主義な気がした。
まず、ここまで過疎が進んだ島で助産院が成り立つのが不思議。
そして、あきらかに自然とともに産むという夢とともに外から来た人たちの存在が
ある。海の雑菌、知識のないお産の危険については語られるものの表面的だ。

ここのところ、産婦の知識不足に加え助産師が安請け合いしたことで誕生死に至った
経験談、あきらかに無知なのに周囲の反対を押し切り、無介助分娩へ突っ走る人、
離島で自然に包まれた出産を望んで移住、検診も受けないまま分娩しようとして、
失敗、ただでさえ手薄な新生児医療を圧迫しているという恐ろしい実態、などなど
考えさせられる記事を目にする機会が多かった。
なのでどうしても素直に読めないのだ。

たしかにここには助産師がいるし、病院の受診もすすめている。
どんなお産もいいお産だと言い切っている。
しかし、好きな姿勢で産む、好きな場所で産む、ということにあまりにも価値を
置きすぎている気がする。そして都会の病院に対するシステマティックなイメージが、
行間から押し付けられている気がする。

たったひとりの出産経験しかない私が言うのはおこがましいが、子どもの人生にとって
どう生まれたかなんて枝葉末節だ。その子が持っている力をできるだけ活かせる形で
生まれてくるのが一番いい。あとは生きていくしかないのだから。
へその緒を誰が切ったか、胎盤を母親が食べたか、分娩台だったか畳の上だったか、
子どもに何の関係があるのだろう。

過剰にお産を素敵なものにしてしまうと、こだわりたくなる。
人生にたった一度か二度か、普通はそれくらいしかない機会だから、子どものためという
大義名分があると際限なく凝りたくなる。
これは早期教育とも似て、それをしないことが母親失格のような気までしてくるのだ。

こんなひねくれた見方、考え方をしないならば、おだやかな島の暮らしと行事、
人々のふれあいなどの描かれ方は心地よい。
ただラストの強引なハッピーエンドが残念だった。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿