哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

自由と規律(週刊新潮今週号の「人間自身」)

2006-02-18 18:58:14 | 哲学
 池田晶子さんの週刊新潮連載「人間自身」今週号は、「自由と規律」という題でした。主なところを要約しつつ抜粋します。

「人間は自由にすると悪いことをする、だから規則で規制しなければならない、と管理する側は思う。しかし、規則で規制したところで、悪いことをする人間は悪いことをする。逆に、善悪とは規則のことだと思うから、自分で善悪を判断しなくなる、できなくなる。自分で善悪を判断できない人間たちの社会が、善い社会になるわけがない。
 ソクラテスの言う通り、悪法も法である。悪法も法だから守らなければならないというのではない。この世の法なんてものに善悪はないという、あれは痛烈な皮肉(アイロニー)なのだ。」


 法律や規則に善悪の基準はない、ということを我々は日常の社会生活の中ではあまり思ってません。しかも、子供たちにはまず規則を守りなさいと言わなくてはなりません。この点については、子供たちはまだ自ら善悪の判断を行えるほどの知的能力が伴わないからではないから、と言えそうです。しかし、判断能力が伴ったら法律に関わらず自ら善悪を判断しなさい、と成長した子供たちに話す大人が居るとも思えません。とりあえず法律は守り、他人に迷惑をかけない範囲で好きなことをしなさい、と言うのがせいぜいでしょう。

 池田さんは、規則は尊重するが結果として守っているだけで、社会の規則には“私”が善悪を判断する自由を規制することはできないと言います。
 果たして一切の拠り所なく、我々は自ら善悪の判断ができるのでしょうか。そもそも言葉として既に「善悪」と言っているのだから、その概念を知らないはずはない、と池田さんはよく言います。しかし社会生活における各種規制(慣習も含めて)に慣れた我々には、やはり他者に善悪を決めてもらうのが楽だったのです。それだけものを考えていないにすぎないのですが。