哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

『日本古代史と朝鮮』(講談社学術文庫)

2012-06-11 01:59:00 | 時事
 NHK大河ドラマ「平清盛」を毎週見ているからかわからないが、日本の古代史に興味をもち、たまたま書店のフェアーで棚に並んでいた表題の本を読んでみた。

 かつて学校で日本史を学んだ頃には、どうしても日本民族を中心に考えて、周辺国をとらえてしまいがちだった。それでも、文物や技術は先進である大陸から入ったことは間違いないこととして学ぶ。しかし、学校でははっきりと学ばなかったと思うが、大和朝廷以前の日本においては、文化も技術も先進である朝鮮からの渡来人が支配者層(当然皇室も含む)を形成したようである。したがって、大和朝廷も渡来人系が中心となっていることも容易に想像できる。そもそも奈良という言葉も、朝鮮語で国の意味だ。

 表題の本によっても、弥生時代に稲作が入ってきた頃から、渡来人が多く現在の日本の地に来ており、とくに飛鳥の地などかつて都のあった場所は、ほとんど渡来人系で占めていたという。飛鳥の風景は、現在散策してものどかなイメージであるが、実は韓国での古くからの土地とかなり雰囲気が似てるという。

 表題の本のメインテーマは、大化の改新と壬申の乱が、当時の古代朝鮮半島の国々の争いが古代日本における渡来人系の支配層における争いに反映したものとする点だ。土着の日本民族を優位に置く皇国史観によって歴史が捻じ曲げられているとして、その修正を迫る内容である。日本を単一民族と考える人は少なくなっているとは思うが、イデオロギー的にそう捉えようとする人は、この本の冒頭を読んだだけで嫌悪感を感じるかもしれない。しかし、素直な、公平な感性でぜひ読むべきであろう本である。むしろ現在の政治家や学者で、朝鮮半島や中国に対して日本民族の優位を声高に叫ぶ右系の人も、先祖をたどれば優秀な渡来人系かもしれない。日本と朝鮮あるいは中国も含めて、地理的に近いのだから、民族的には対立性よりも親近性が高くて当たり前である。所詮人類史をたどれば、すべての民族の生成以前はエチオピア辺りの人類発祥の地の血を受け継いでいるのであれば、民族対立を殊更にあおることはない。


 話は戻って、この本によれば極端な話かもしれないが、現在の皇室につながる古代の支配層はもちろん、平安時代の貴族やその後に台頭した武士も、また昔は学問修得が主であった僧たちも、かつて先進文化や技術を持ってやってきた渡来人系が中心となっているということだ。ただ、言葉として日本古来のやまとことばというものも存在するから、縄文時代からの土着の民たち(これを日本民族としてもあまり意味はないが)も、被支配層として多くの人口がすでに存在したのであろう。古代におけるグローバルな交流を想像しながら歴史を学び、ぜひ現代の国際交流にも生かしたいものだ。