哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

『哲学の謎』(講談社現代新書)

2014-04-01 06:37:02 | 
表題の本はちょっと古い本だが、ラディカルな内容に惹かれてつい読んでしまった。日経新聞の日曜版に連載されていた永井均氏の哲学コラムも面白く読んだが、表題の本も同じような内容であり、あとがきを見ると永井均氏の名前も出てくるから、合点が行った。

「哲学の謎」というのは、少し誤解を生みそうな題名であり、哲学に関する謎ではなく、世界もしくは人生における謎を哲学的に考えてみる、というのが正確な内容であろう。

この本には全く専門用語も歴史上の哲学者の名前も出てこず、純粋に読者に考えさせるという意味では、池田晶子さんの姿勢にも近いところを感じる。このような哲学本はあまり多くないから、その意味で貴重だし、ぜひお薦めしたい。

ただ、池田晶子ファンとしては、この本に何か今ひとつ物足りないものを感じた。それは何だろうと思って、池田晶子さんの本も少し読み返してみたのだが、端的に言えばそれは現代社会や世相への斬り込みである。哲学的にラディカルに考えることはできても、現実の自分の生き方はそれとは別と思って世間の考えに流されて生き、金銭欲や物欲などを満たすべくあくせくした生き方をしているのでは、もちろん哲学を学ぶ意味はない。哲学専攻の大学教授の大半を池田さんが斬っているのもそういう意味である。表題の本の野矢氏は、論理本をいろいろ書いている著者だし、永井氏は池田さんも評価していたから、この人たちがそうであるとは必ずしも言えないが。


池田さんならどう言うか。池田さんが『2001年哲学の旅』を出したときの文章を少し引用してみよう。

「・・・過去の哲学者たちの足跡を尋ねる旅路は、自ずからその人生その構えに、精神が共鳴してゆくことになる。今さらながら、ソクラテスの刑死、ニーチェの発狂、ウィトゲンシュタインの沈黙とは、哲学者の人生の構え、その覚悟そのものではあるまいか。
 哲学するとは覚悟することであるなど、きょうび誰も言いやしない。言われたところで、何のことやらわかりもしない。哲学するとは何かラクになることらしいと思っているらしいのである。・・・哲学とは、それをするものに、返す刀で覚悟を問うものだからである。」(『ロゴスに訊け』「哲学は誰にでもできます」より)