哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

「プロ」といえる人(『人間自身 考えることに終わりなく』)

2007-04-22 07:09:40 | 哲学
 池田晶子さんの最新刊(4月20日発行)『人間自身 考えることに終わりなく』には、週刊新潮の連載以外の文章も掲載されていました。ランティエという雑誌に掲載されたという、表題の文章を今回は取り上げて、少し抜粋してみます。



「世間の多くは、自分はそれで食っているのだ、食ってゆくのだという覚悟、これを所有している者が、プロフェッショナルな者なのだと、自他ともに称賛している。
 しかし、「それで食う」ということにプロの覚悟があるのであれば、もしそれで食えなくなれば、その覚悟はどうなるのか。

 「食う」ということと、「覚悟」ということは、じつは完全に無関係なのである。いや逆に、食うことを無関係とするところにこそ、本来の覚悟はあるのである。食える食えない関係ない、生きるか死ぬか知ったことか。自分はどうしてもこれがしたい、これしかできない、だからこれをするのだ。
 このような構えをこそ正当に「覚悟」と、私は呼んでいる。」



 この文章を読んでいると、別の文章との共通点に気付きます。同じ本のすぐ直前の「天才とはどういう人か」で、天才の定義として、「それしかできない」という点を挙げておられます。つまり、天才もプロも、「自分にはこれしかできない」という点では共通するわけです。

 では天才とプロとはどこが違うかというと、それは単に先天的な才能を持つか、後天的に能力を磨いて精進しているか、だけなのでしょう。その仕事について、生死に関係なく覚悟を有する者がプロであり、それに加えて天賦の才能を持つ者が天才といえるのですね。


 池田晶子さんは「天才」ですから、天賦の才能により、生きている限りロゴスを発信されていました。我々も池田さんのロゴスに共鳴することはできるのですから、あとは「自らこれしかできない」という覚悟を有する仕事をするか否か、自ら内面を問うしかありません。


3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2007-04-22 22:18:44
はじめまして。

やはり「覚悟」という言葉は池田晶子さんのものだったのですね。池田晶子さんのファンである知人が話していたことを思い出しました。



私もプロになりたいものです。覚悟を有して、一生をかけて取り組むべき課題…それはすでに見つかったはずなのですが。。生半可な気持ちでは実行できないものですね。
返信する
Unknown (久里浜@)
2007-04-28 22:03:46
読売新聞「原点を指し続けた人」

 今日(4月28日)の読売新聞朝刊14面の「時の余白に」というコーナーで、編集委員の芥川喜好氏が池田晶子さんを好意的に大きく取り上げていました。
「……こんな時、いつも見通しのいい考えの筋道を示してくれる若い哲学者がいました。池田晶子さんという方です。」と紹介し、具体的に池田さんの考えた事例をいくつもあげた後、次のように締めくくっていました。
「最後まで続けた週刊新潮コラムの担当者鈴木雅哉さんは言います。『年をとり自分の思考がどう深まるかを、本当に楽しみにしておられた。そういう方でした。』
 発掘者亀井さんは言います。『若くして逝く人にも春夏秋冬がある、という言葉を思いますね』
 二人の言い方に、愛惜の深さがこめられています」

 編集委員というからには年配の方でしょうが、ここにも池田ファンはいました。あと、今出ている「新潮45」で哲学者の中島義道氏がやはり池田さんについて触れています。こちらは必ずしも好意的なものではないのですが、いわゆるアカデミズム哲学界が池田さんを黙殺する中で、あえてそこに触れた中島氏には敬意を表します。興味ある方はご一読を。
返信する
Unknown (Unknown)
2007-04-29 00:14:06
アカデミズム哲学界の中では、慶應大学教授の斎藤慶典さんが、新刊本『哲学がはじまるとき』のあとがきで触れていらっしゃいますね。斎藤さんは、池田さんの『考える人』の文庫版の解説も書いていらっしゃいます。哲学という営みに対する考え方は、池田さんと非常に近いようです。
返信する