哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

詩人の言葉

2007-08-12 08:35:00 | 哲学
『君自身に還れ 知と信を巡る対話』のはじめの方に、池田さんは本質的に詩人ではないかと思った、との大峯さんの話が出てきます。自分が今ここにいるという不思議の実感を透明な文章で書いている、という点に大峯さんは共鳴されたそうですが、さらにその後の文章に、本質的な言葉こそ価値であることを対話されています。「本当の言葉 石のように動かない」から少し抜粋します。


「池田:人がほんとうに自分が生きるか死ぬかのクライシスになったときに求めるのは、お金でもモノでもなくて、ほんとうの言葉でしょう。言葉がなければ人は生きられない。
大峯:詩というのは言葉が目的となっている世界です。言うことが目的なのであって、言ってどうしようってことじゃないわけですね。その言葉を聞くことが生の目的なんだ。
池田:言葉より大事なものはないでしょう。
大峯:そういう意味で、詩の言語というのは言葉のそういう本質を一番よく示していると思います。たとえば、芭蕉のような偉い俳人が「さくら」といったら、その「さくら」という言葉の中に実際のさくらが入っているんだね。その俳句に感動するということは、やっぱりそのことにびっくりするんだと思います。
池田:そうです、本当のリアリティに触れた言葉は。動かないのはそっちの言葉ですからね。真実の事柄を語っている言葉のほうが、石のように動かないんです。」


 真実の言葉の価値ということについては、池田さん自身の著書でも繰り返し述べられていますが、我々凡人にはどうしても日常生活で使用する言葉の軽薄感からか、その意味を理解しにくいように思われます。携帯電話やパソコンで日常繰り返される会話やメールなどの日常言語ではなく、本質的な言葉がもつ価値を実感するには、これも池田さんが常々書いておられたように、古典に触れるのがよいのでしょう。芭蕉もいいですが、池田さんの本も古典的になってきているような気がします。