誰もが一度は死ぬが、自ら死がどんなものかを生きながら知ることはできない。自分以外の死体を見ることはありうるが、死と死体は違う、と池田晶子さんも書いていたように、死体をいくら探しても死は出てこない。ただ、現実問題として死体の扱いをどうするかという問題は起きる。
この本は死体を扱うビジネスの裏事情を綴っており、知らない世界を知る意味で興味深いが、あまり気持ちよく読める内容ではないので、興味ある方だけにしかお薦めはできない。
「○○の経済学」と名乗っても、新書版程度の本は、経済学とは名ばかりの単なる業界値段暴露ネタ的な話題が多いが、表題の本もその類である。業界の値段の慣行については、結局ボッタクリと言われかねないとも考えられるような話が多いが、著者は必ずしも否定的ではなく、死に対する儀式としての位置づけで考えようとしている。
むしろ興味深いのは、死体を取り扱うサービスの現代的な変容の話である。都会で孤独死が増えるにつれ、死体発見が死後長期間経ってしまう場合が多くなっており、そのため死体やその部屋の処理が大変で、そのニーズに答えたサービス業者が増えているというのだ。
現代的な死体処理の様子は、何となく死体を軽く手早く扱おうとする傾向にあるように思える。それが、死を軽んずるということと同値といえるかは問題だが、死というものについて考える一材料ではあるだろう。
この本は死体を扱うビジネスの裏事情を綴っており、知らない世界を知る意味で興味深いが、あまり気持ちよく読める内容ではないので、興味ある方だけにしかお薦めはできない。
「○○の経済学」と名乗っても、新書版程度の本は、経済学とは名ばかりの単なる業界値段暴露ネタ的な話題が多いが、表題の本もその類である。業界の値段の慣行については、結局ボッタクリと言われかねないとも考えられるような話が多いが、著者は必ずしも否定的ではなく、死に対する儀式としての位置づけで考えようとしている。
むしろ興味深いのは、死体を取り扱うサービスの現代的な変容の話である。都会で孤独死が増えるにつれ、死体発見が死後長期間経ってしまう場合が多くなっており、そのため死体やその部屋の処理が大変で、そのニーズに答えたサービス業者が増えているというのだ。
現代的な死体処理の様子は、何となく死体を軽く手早く扱おうとする傾向にあるように思える。それが、死を軽んずるということと同値といえるかは問題だが、死というものについて考える一材料ではあるだろう。