哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

無戸籍の人

2012-07-17 23:03:30 | 時事
無戸籍の人をテーマとするドラマが始まり、少し見たが、非常に印象的なシーンがあった。主人公が無戸籍を通告されるところで、戸籍が無ければ死亡診断書を届ける先もなく、存在しないのと同じだ、と言われるシーンだ。確かに指摘の通り、生きていることを前提としたあらゆる行政関連手続きが行えず、死ぬことさえも手続き的にできないから、最初から無であるかのような感覚に囚われる。

無戸籍だから存在しない、という意味は、日本国民という意味で存在しないことになるのだろうか。しかし、外国籍もないわけだし、親が日本人として存在する以上、無国籍というのもありえないように思える。ただ、日本国民としての各種行政サービスが受けられず、参政権もなければ統計上の日本国民にもならないというだけである。今「だけである」と書いたが、これだけでも、そうとう不便ではあると思うが、想像するしかないのでよくわからないところもある。


それにしても、戸籍がないと存在しないのと同じ、という言い方は、池田晶子さんにかかったらもっとばっさり斬られそうだ。戸籍によって日本人であったり、名前が与えられたりしなければ存在しない、というのは、そもそもそのようにしてでしか存在できないと本人が思い込んでいるにすぎない。人はなぜ自分を日本人だと思っているのか。


「むろん私は日本人である。アメリカ人でも中国人でもなく、日本国籍を有する日本人である。しかし、それは、池田某が日本人であるのであって、「私」が日本人であるのではない。「私」は何国人でもない。どの国家どの民族にも属してはいない。」(『考える日々』「自分が何者でもないということを」より)