山域山名:上州・赤城山地蔵岳(群馬県)
期 日:2017年3月11日(土)
参 加 者:みやぶー(単独)
行動記録:大沼1360m(12:55)→赤城山第一スキー場ゲレンデ→肩1620m(13:30/13:40)~北面滑降1550m&登り返し→地蔵岳1673m(14:15/14:40)~八丁峠1500m~大沼(15:00)
<天候:快晴>
熊谷人にとって赤城山は、北に目を向けると広い裾野と左(西)側から鍋割山、荒山、地蔵岳、長七郎山、最高峰の黒檜山ときれいに並べた山容はどこからもよく見えて、埼玉県ではないが故郷の山といってもいいくらいの山。
爆弾低気圧で熊谷でも60センチの記録的大雪が降った2014年に東麓の花見ヶ原から黒檜山にシュプールを刻んだが、赤城山山スキーの本山といえる地蔵岳から滑るチャンスがなかった。
2014年3月の黒檜山(花見ヶ原ルート)の記録
今年は上州にも寒気が下りてきて、積雪も順調に増えた。今週がチャンスと午前に自宅を出て前橋から赤城道路を車を走らせた。
地蔵岳の取り付きは赤城山第一スキー場。
「日本一小さなスキー場」が売り!
巨大リゾート資本でないと生き残れない昨今だが、実は赤城山スキー場は凄いゲレンデだった。
HPから抜粋‥
大正時代にはすでにスキーが行われ、昭和の初めには日本を代表するスキー場のひとつとして名が挙がるほどだった赤城山。
昭和4年2月には、新設された「地蔵岳大ジャンプ台」で、ノルウェーの選手も参加して、日本初の国際ジャンプ大会が開催された。
そのジャンプ台を独学で設計し、建設したのが赤城山出身で日本のスキーヤー・スキー指導者の草分けの猪谷六合雄だ。
そして、その息子にあたる猪谷千春は、少年時代の一時期に赤城山でスキーの練習を積み、後の1956年にイタリアで行われたコルティナダンペッツォオリンピックのアルペンスキー男子回転で銀メダルを獲得し、アジアで初めての冬季五輪メダリストとなった。
そして、ウィキペディアには‥、
ロープウェイを使って地蔵岳山頂から小沼、大沼へすべりおりる約3kmの「地蔵岳大滑降」は、その木のまったくないダイナミックなコースによって、1970年代の全てのスキーヤーの憧れの的であった。
今日はこの「地蔵岳大滑降」が目的。
ゲレンデを突っ切り(数分)斜面に取り付く。
今冬は強風が続いたので、赤城にもこんな雪庇ができていた。
スノシューツアーとすれ違う。幼児もがんばっていた。
箱庭のよう。
地蔵岳。
大沼と黒檜山。
いい斜面に誘われて、地蔵岳北面を1本。
すぐに樹木が密になったので滑降は標高差70mで登り返す。
地蔵岳山頂へ。斜面が開けているのは、1998年に廃業した赤城山ロープウェー山頂駅跡。
ロープウェーを使えたら、今ならバックカントリーでしょう。
昔の地形図にはちゃんと載っている。
山頂にはたくさんの電波塔。
関東平野を一望。
NHKをバックにご機嫌ターン。
小沼を眼下にする「地蔵岳大滑降」の斜面。
HPにあった同じ場所。
斜面は登山者の足跡が凍ってガタガタでした。真っ新ならきっと楽しめるでしょう。
八丁峠。
スキー場への下山ルート。
ゲレンデに合流。
圧雪車のような洒落た設備はなく、スノーモービルで整地してるらしい。遊んでいる99%は「ソリ派」(笑)
雪質の変化が激しく、登りも滑りも初級者では大変かなと思えるほどレベルが高かった。
下山後は大沼湖畔道路を一周。ロープウェーが架かっていたラインが分かる。
わかさぎ釣りのテント。
ちょっと寄り道。熊谷市立赤城山の家を見に行く。
小学5年の林間学校、中学2年のスキー学校で泊まった思い出の場所。
残念ながら、赤城山の家は閉鎖されていました。
期 日:2017年3月11日(土)
参 加 者:みやぶー(単独)
行動記録:大沼1360m(12:55)→赤城山第一スキー場ゲレンデ→肩1620m(13:30/13:40)~北面滑降1550m&登り返し→地蔵岳1673m(14:15/14:40)~八丁峠1500m~大沼(15:00)
<天候:快晴>
熊谷人にとって赤城山は、北に目を向けると広い裾野と左(西)側から鍋割山、荒山、地蔵岳、長七郎山、最高峰の黒檜山ときれいに並べた山容はどこからもよく見えて、埼玉県ではないが故郷の山といってもいいくらいの山。
爆弾低気圧で熊谷でも60センチの記録的大雪が降った2014年に東麓の花見ヶ原から黒檜山にシュプールを刻んだが、赤城山山スキーの本山といえる地蔵岳から滑るチャンスがなかった。
2014年3月の黒檜山(花見ヶ原ルート)の記録
今年は上州にも寒気が下りてきて、積雪も順調に増えた。今週がチャンスと午前に自宅を出て前橋から赤城道路を車を走らせた。
地蔵岳の取り付きは赤城山第一スキー場。
「日本一小さなスキー場」が売り!
巨大リゾート資本でないと生き残れない昨今だが、実は赤城山スキー場は凄いゲレンデだった。
HPから抜粋‥
大正時代にはすでにスキーが行われ、昭和の初めには日本を代表するスキー場のひとつとして名が挙がるほどだった赤城山。
昭和4年2月には、新設された「地蔵岳大ジャンプ台」で、ノルウェーの選手も参加して、日本初の国際ジャンプ大会が開催された。
そのジャンプ台を独学で設計し、建設したのが赤城山出身で日本のスキーヤー・スキー指導者の草分けの猪谷六合雄だ。
そして、その息子にあたる猪谷千春は、少年時代の一時期に赤城山でスキーの練習を積み、後の1956年にイタリアで行われたコルティナダンペッツォオリンピックのアルペンスキー男子回転で銀メダルを獲得し、アジアで初めての冬季五輪メダリストとなった。
そして、ウィキペディアには‥、
ロープウェイを使って地蔵岳山頂から小沼、大沼へすべりおりる約3kmの「地蔵岳大滑降」は、その木のまったくないダイナミックなコースによって、1970年代の全てのスキーヤーの憧れの的であった。
今日はこの「地蔵岳大滑降」が目的。
ゲレンデを突っ切り(数分)斜面に取り付く。
今冬は強風が続いたので、赤城にもこんな雪庇ができていた。
スノシューツアーとすれ違う。幼児もがんばっていた。
箱庭のよう。
地蔵岳。
大沼と黒檜山。
いい斜面に誘われて、地蔵岳北面を1本。
すぐに樹木が密になったので滑降は標高差70mで登り返す。
地蔵岳山頂へ。斜面が開けているのは、1998年に廃業した赤城山ロープウェー山頂駅跡。
ロープウェーを使えたら、今ならバックカントリーでしょう。
昔の地形図にはちゃんと載っている。
山頂にはたくさんの電波塔。
関東平野を一望。
NHKをバックにご機嫌ターン。
小沼を眼下にする「地蔵岳大滑降」の斜面。
HPにあった同じ場所。
斜面は登山者の足跡が凍ってガタガタでした。真っ新ならきっと楽しめるでしょう。
八丁峠。
スキー場への下山ルート。
ゲレンデに合流。
圧雪車のような洒落た設備はなく、スノーモービルで整地してるらしい。遊んでいる99%は「ソリ派」(笑)
雪質の変化が激しく、登りも滑りも初級者では大変かなと思えるほどレベルが高かった。
下山後は大沼湖畔道路を一周。ロープウェーが架かっていたラインが分かる。
わかさぎ釣りのテント。
ちょっと寄り道。熊谷市立赤城山の家を見に行く。
小学5年の林間学校、中学2年のスキー学校で泊まった思い出の場所。
残念ながら、赤城山の家は閉鎖されていました。