最近の嬉しい出来事は、ピアニスト辻井伸行さんの快挙ですね、島岡美延です。ただ「盲目のピアニストで日本人初」という表現には、違和感を覚えます。他のどんな演奏家とも違う表現力をこれからも伸ばしていって下さい!
さて、今日は「昨日の二つの謝罪」についてです。一つは、サッカー日本代表の岡田監督が、カタール戦に引き分けたあとの競技場で行なったもの。ベンチに入れなかった監督ですが、サポーターへの謝罪であると同時に、選手たちにとっては、「監督に頭を下げさせることになった試合」を振り返る、大きな意味を持ったことでしょう。
もう一つは、「足利事件」について、検察幹部が公式に「謝罪の意を示した」というもの。このニュースを見ましたが、その映像があるわけではなく、「目の前に来て謝罪を」と記者会見した菅家さんの表情は、厳しく、痛々しいものでした。
「謝罪」とは「相手に伝わってこそ」、と改めて思った二つのケースです。
さて、今日は「昨日の二つの謝罪」についてです。一つは、サッカー日本代表の岡田監督が、カタール戦に引き分けたあとの競技場で行なったもの。ベンチに入れなかった監督ですが、サポーターへの謝罪であると同時に、選手たちにとっては、「監督に頭を下げさせることになった試合」を振り返る、大きな意味を持ったことでしょう。
もう一つは、「足利事件」について、検察幹部が公式に「謝罪の意を示した」というもの。このニュースを見ましたが、その映像があるわけではなく、「目の前に来て謝罪を」と記者会見した菅家さんの表情は、厳しく、痛々しいものでした。
「謝罪」とは「相手に伝わってこそ」、と改めて思った二つのケースです。
「したいと考える」という言い回しには、本音はしたくないのだが、しかたなくしているのだ・・・という嫌なニュアンスを感じてしまうのは小生だけでしょうか。
同様に島岡さんおっしゃるとおり、「意を表明」しても、謝罪の気持ちが相手に伝わらなくては単なるパフォーマンスですものね。
自身の行動にも照らして気をつけなくてはと。
今回のケースは、「かえって相手を怒らせてしまった」状況・・・。
そもそもこういう「公の謝罪」って、誰に向かっての謝罪か、わからないものが多いですね。