「解語花」(ものいう花)

「解語花」に「ものいうはな」というルビがふってある文章に出合った。
 括弧で(美人)と書いてある。つまり「解語花」イコール「美人」である。
 原文は中国語だが、にくい表現だと思う。ものをいう花というたとえは、いい。
 なかには、ものを言いすぎる花もあるけれど・・・。あははは。
「ペットはいいですよ。文句を言いませんから」などという人がいたら、「ものを言うからいいってこともあるんですぜ。中国じゃ、ものを言わぬ花よりも、ものを言う花を美人にたとえるくらいですから」
 ってなことを言ってみたいが、そんな機会はなかなかないだろう。ぐはははは。
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「座知らず」

「座知らず」という言葉を辞書で探しても、見つからない。
しかし、そういう言葉が、講談や浪曲のセリフの中には登場する。
何かの寄り合いがあって、席に座る時、自分の立場を考えずに、場違いな席に座ることである。
僧侶の世界は、そういう機会がたくさんあって、若いうちから、しっかり身につけることになっている。
偉いのに下座のほうに座るものも「座知らず」だし、下っ端なのに上のほうに座るのも「座知らず」である。

もちろん、あやふやな立場の場合は、気にしない度量も必要である。
レストランで、もてなす側が、眺めのいい席に座るもの「座知らず」のそしりをまぬがれない。
居酒屋でも同じことである。
でも、「今日のオススメ」などの張り紙があったら、それが見えるほうに自分が座って、それらを注文するのか、お客さんに見えるように座ってもらって遠慮なく頼んでもらうほうがいいのか、私はいつも判断に迷う。
基本的には、入り口に近いほうが下座だが、さりとて、逆に座ってもらって、今度はトイレに近いような場合だって、たくさんあるからである。だれか、よい智恵をお持ちでないだろうか。
というようなことを書いている私は、物知らずであり、親不知の歯はもうとっくに抜けている。うはははは。
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「すずしい光がまるで水のようだった」

 13時からの法話のために、何時に寺を出たらいいのか・・・。
 午前8時30分、ネットで道路の渋滞情報を見る。唖然とする。
 中央高速は集中工事である。多摩動物公園までいくのだから、ドッピシャリである。
 「やっぱ電車で行こう」と決める。
 電車に揺られて約二時間の旅。思いっきり本を読めた。
 で、その本の一説にこんな表現があった。
「その夜は、月影が高々(皓々と?)冴えわたり、清(すず)しい光がまるで水のようだった」『中国怪異譚1』より。
--なんて綺麗な表現なのだろうと思って、ドッグイヤーをつけた。そこから、明日の「写仏の庭」のお手本を決めた。 

 無垢光菩薩である。文殊菩薩の智恵の清らかなことを表す仏さまである。
写仏の庭は、密蔵院の客殿で、13時ー15時、19時ー21時、でございます。
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若衆打ち揃い・・・。

台所に吊るしてあるカレンダーに、今日の予定はなかった。
ないといっても、月曜日だから、夜のご詠歌は当たり前なので書いていない。
「ならば、6月1日の施餓鬼の塔婆を思う存分書こう」として10時30分。
玄関で、「こんにちはぁ」と明るい声。
「はーい」と出ていって驚いた。
そこには、千葉の若い仲間、六人の打ち揃いのあで姿。
「ギャッ!忘れてた・・・」
私の手帳には「千葉の若衆、勉強会」と書いてあった。それを、台所のカレンダーに転記しなかった、ワッシがいけねぇ。どはははは。
15時に歯医者を予約してあったので、14時30分までにして、取り止めのない法話の材料についてお話しさせてもらった。
ったく申し訳ねぇ。
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母の日のお参り



お参りが多かった。
母の日がたまたま、日曜日と重なったからなのかと思ったが、母の日はいつでも日曜だ。わははは。
泉下の母に、お参りにいらした方が5人ほどいらっしゃった。全員男性である。
優しい人だなと:いつも思っている檀家さんたちだ。
いい、日曜だった。
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「何時になったら、飲んでいいの?」

「何時になったら、飲んでいいの?」
16時30分、家内に聞いた。
「その前に、材料を買っておいでよ」
「買ってきたら、飲みながら焼いていいの?」
「いいわよ」
家で、初めて焼きとりを焼いた。
家電量販店で、一年ほど前にいつかやってみたいと思って買っておいた、焼きとり焼き機の封印を解いた。
串打ちが大変なのがわかった。
焼くのも時間かかかって大変なのがよくわかった。
熱いうちはとても美味しいのもよくわかった。
とにかく、ビールを飲みながら、立って、焼き続けるのはもう嫌だと思った。
明日の朝は、今日、私の命につながってくれた鳥たちに感謝しつつ、本堂でお線香をあげようと思う。
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大気、天気、元気、陽気

 暑くなった今日の東京……。衣替えは家内にまかせているので、まだ半袖がない。仕方がないから自分で半袖のポロシャツを引っぱりだして着た。
 ご詠歌のお稽古の間に、天気予報通りのドシャブリ。すると、気温が一気に下がって、夕方になったら今度は半袖ではさむい。わはははは。
 こうして、徐々に初夏になっていくのだナ……。大気のおかげで天気が万華鏡のようで、当方は元気で、陽気である。むはははは。
 おかげさまで大手書店では、今月の新刊のコーナーに『仏教、陽気生活のすすめ』(三笠書房)がドッサとおいてくれている。ありがたいことである。
 そして、私のほうは、次の本の初校のあがり間近。ラストスパートである。
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老電遮断機

昨年から、雨が降ると漏電遮断機が作動して、エアコンがオンにならない状態がつづいていた。
調べてもらったら、二台のエアコンが漏電していた。
「寿命」なのだそうだ。

私もそろそろ、老電遮断機が作動する時がでてきたような気がする。うははは。
今日の昼間の会議では、ズーッとボーッとしていて、それに気づいたからだ。気づかなければ、老電である。
もっとも、だから、ボーズーというのだけれど・・・。
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生活のリズム音

17年ぶりに客殿の壁を塗り直してもらっている。左官屋さんの手際は、一つのリズムを奏でている。

まるで音楽職人のようだ。それがご自分のリズムなのだろうと思う。見事である。
ひるがえって、自分はそんな、人から有無を言わさぬリズムを奏でているのだうかと思う。木魚は当たり前だが、キーボードを打つ音や、トイレットペーパー引き出し、そして、切る音・・・。
そんなことを考えると、否応なく映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を思いだす。悲しいけれど、音を意識させる映画だった。
--ということで、明日(9日)は、声明ライブ。PUANがご一緒してくれます。ディジュリドゥーの名手と、民族楽器を使った心に染み込む歌、そして千古の仏教音楽をご堪能ください。
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酢になった血

司馬遼太郎の本の後記にこんなくだりがある。
「宵っぱりの私はたまに早起きすると、血が酢になったようで、じつに気分がわるい」
素晴らしい表現だ!
私は「血が酢になったようで」とは、感じたことがないが、気分がすぐれない時に、こんな表現をしたら、周囲の人はよく分かってくれるだろう。

昨日は法事のあと座で3合ほど日本酒をご馳走になったので、犬の散歩の時間になっても気分が悪かった。
娘が「散歩、一緒に行けますか?」と言うので「そんな気分になれないのだ」とつまらぬことを言ったと思う。
絶好の機会であったのだ。
「お父さんは、血がバルサミコ酢になったようで、気分が悪いんだよ」
ぐははは。
今日から通常モード。やるべきことを、とっととやってしまおうと思う。
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