「あの時どこにいた?」から次へ。

昨日のブログで、めげている場合ではないと書いた。
書き終えて「めげる?」と思った。がっかりするとか、元気がない様子を示す言葉だが、不思議な言葉だと思った。
メがゲルとはな何じゃろかい・・。

辞書を引いてもそれを表す漢字表記はないから、きっと大和言葉だろう。
(似た表現のショゲルは「悄気る」と一発で出てくるんですがね・・・)

あわてる必要もないが、あわてて逆引きで「--げる」を引いた。
「ははぁ、これだな!」という言葉があった。
「たまげる」である。漢字では「魂消る」と書く。魂が消えるくらいビックリすることだ。

してみると、「めげる」は「目消る」ではないかしらん。目も開いていられないくらい落ち込むことだとするのはいかがだろう。ぐはははは。



今日は葛飾区ご詠歌をやっている方々の大会。七つの支部のお唱えを聞いての講評役である。この役を頼まれた時は、いつだって好評役だと思っているから、良いところしか探さぬ。相手がめげるようなことはいわなくていいのだ。

ここでも震災後初めて会うかたがたが大勢いて、会話をした。それで思ったことがある。

震災以来40日。もうそろそろ「3月11日、14時46分、どこにいた(何してた)?」と言うのはやめてもいいのではないかということだ。
それを踏まえて、「今何しているか」「どうしようとしているか」に話題をシフトすべきだろうと思う。

平成23年3月11日、大震災の時、どこで何をしていたか・・などという話を何十年後にもしているような年寄りにはなりたくないと思う。
そのあとの一カ月後にはこんなことをしていたんだ、こんなことを考えていたんだよと、将来堂々と言える日々を過ごそうと決心した。

「めげる」を調べて、どうにか私なりの結論がでて、めげないで行こうと決心したいう話である。わはははは。

ああ、ちなみに今日の密蔵院は「写仏の庭」。お手本は金剛花菩薩であります。
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