コメント
 
 
 
訪ね直さないといけない所ばかり(笑) (yukariko)
2008-07-26 22:38:16
「渉成園・枳穀邸(きこくてい)」も10数年前に東本願寺を見学し、その時に門跡による売却問題で話題に上った枳穀邸も見学しておこうと寺務所で入場許可を貰って散策しました。

急に思い立った為、歴史の知識を持たないままで、それほどの感慨も持ちませんでした。
3枚の写真を見て『こんな所だったかしら?』
もう一度行って、見直したい所がどんどん増えますね(笑)

…東本願寺の風が通る広い畳敷きに座り込んでお喋りしたから真夏でしたが、行き当たりばったりの散策でもったいないことばかりしています(笑)

写真、ガラスに桜が写りこんだいい構図ですね!

清和源氏・摂津源氏・河内源氏と渡辺党が複雑で、どこで分岐してゆくかをインターネットで追跡してようやく納得!
子孫の末が征夷大将軍ですものね。

先日、尼崎の近松公園横の近松菩提寺・広済寺を訪ねましたが、このお寺も一帯を支配していた多田満仲が日本初の北辰星を祀ったことに始まるとありました。

本拠地の川西市・多田神社の事は以前hiroanさんが地元と書かれていましたね。
 
 
 
源氏の系図は複雑ですね! (sakura)
2008-07-27 12:04:51
源氏というと誰もが源頼朝、義経を思い出しますが、
清和源氏のほか嵯峨源氏、宇多源氏、醍醐源氏、村上源氏等もあり
清和源氏から摂津源氏、大和源氏、河内源氏と分かれていきます。

河内源氏から源頼朝、義経へと繋がり一族から足利尊氏、新田氏も出てきます。
河内源氏については頼朝が登場するとき、河内三代の写真から見て頂こうと思っています。

徳川家康も(自称)源氏一族とかで、六孫王神社(燈籠)、多田神社など源氏ゆかりの神社に寄進しています。

広済寺は一帯を支配していた多田満仲が日本初の北辰星を祀ったことに始まるそうですが、
一度たづねた位ではすっかり忘れています。
たづねた所でもこの調子ですから、はじめから何もかも分かってなんか行けませんね。

枳穀邸の源融ゆかりの塔がある庭は宇治の塔の島の景色を模してつくられ、
塩釜、塩釜の手水鉢など融の伝承に基づいた物などが置かれています。
インターネットで系図を調べていただいたようですが、
そこまでして記事を読んでくださるのでありがたいことと思っています。
なるべく分かりやすくするよう心がけます。
 
 
 
追記 (sakura)
2008-07-27 12:22:33
hiroannさんは川西方面のご出身だそうです。

多田神社をたづねた頃は写真といっても、
2、3枚撮影しただけ、またたずねたいと思っています。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。