平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 



 


京都会館前の案内板

平安時代の終わりごろ、鴨川の東一帯に造営されたのが、六勝寺と白河殿です。
「勝」の字がつく六つの天皇家御願寺が白河・鳥羽両上皇の時代に
相次いで造営され、鳥羽離宮とともに院政期を代表する地域となっていました。
さらに六勝寺の周辺には、院御所(白河南殿・白河北殿)や得長寿院など
多数の寺院が造営され、一帯は急速に発展しました。
六勝寺の発掘調査は、昭和34年(1959)の京都会館建設工事にともなう発掘から始まり、
これまで数多くの発掘調査が実施され、おおよその推定場所が明らかとなりました。
しかし、まだ白河街区全体の区画や正確な寺域など
明らかになっていないことも多くあり、今後のさらなる調査が待たれます。

「六勝寺こみち」の石碑から順にご紹介します。

京都近代化のシンボルである琵琶湖疎水、
広道橋の畔にたつ「六勝寺のこみち」の石碑。


京都市動物園、京都市美術館の南を流れる疎水。

◆円勝寺跡
円勝寺(左京区岡崎円勝寺町)は、法勝寺、最勝寺、尊勝寺、成勝寺、
延勝寺とともに六勝寺と総称された寺院のひとつです。
鳥羽天皇中宮待賢門院の御願寺で、大治3年(1128)に落慶供養が行われました。
現在の京都市美術館から図書館付近の敷地(推定南北1町、東西2町)が、
ほぼその位置にあたると推定されています。

美術館を入って左手、写真正面の石段を上った右側に
「円勝寺発掘調査記念碑」があります。





「岡崎公園 動物園前」バス停のすぐ東側に円勝寺跡の碑があります。

◆法勝寺跡
白河(現在の岡崎)の地には、藤原氏北家代々の別邸があり、
白河院とよばれていました。
左大臣藤原師実によって白河天皇に寄進されたこの土地に
白河天皇御願寺として創建されたのが法勝寺です。六勝寺筆頭寺院として
承保4年(1077)、大部分の伽藍が完成し落慶供養が営まれました。
法勝寺の規模は、東西2町(約240m)南北4町(約480)と
推測されますが、まだ確定していません。
八角九重塔は自然災害により何度も被害を受け、その都度
修復されましたが、南北朝時代の火災で寺の南半分が焼失し、
それ以後、衰退し、応仁の乱以後廃絶したと考えられています。

私学共済事業団の旅館「白河院」前にたつ「白河院址」の石碑。



伽藍配置は東大寺大仏を彷彿とさせる本尊毘盧遮那仏を安置した金堂・
講堂・薬師堂などの主要な堂塔が一直線に並ぶ四天王寺式で、
中でも池の中島には、高さ81mにおよぶ八角九重塔が聳え、
東国から粟田口を通って都に入ってきた人々の目をひく偉容でした。
ちなみに東寺の五重塔の高さは約55mです。

太平洋戦争後までは、京都市動物園の中には「塔の壇」とよばれる塔の基壇が
残っていましたが、アメリカ進駐軍にブルドーザーで破壊されてしまいました。
基壇に使用されていた花崗岩の細長い切石は、園内の池の石橋に転用されています。
京都市動物園は法勝寺伽藍の南半分にあたるとされ、
動物園北の二条通北側には、高さ約2メートル(東西約68m南北約27m)の
石垣の高台が続いています。この高台が法勝寺金堂の基壇跡です。

噴水池の畔に八角九重塔の説明板、その近くに隠れるようにして
「法勝寺九重塔址」の石碑がたっています。
この九重塔は、現在の観覧車の位置にありました。




石橋に用いられている長さ3、8mの布石。


二条通り北側に残る金堂の基壇跡。

白河は桜の名所として知られ、平通盛(清盛の甥)が上西門院(後白河の姉)に
仕える小宰相を見初めたのは、法勝寺の花見でした。
またこの大寺の執行(事務長官)が鹿ケ谷山荘事件に加わった
後白河法皇の側近の俊寛僧都です。

平安京創生館には法勝寺復元模型が展示されています。

法勝寺伽藍配置図(福山敏男博士原図)は、
「中世の開幕」より引用させていただきました。

現在、平安京創生館に移設されている法勝寺復元模型は、
2009年秋まで岡崎勧業館に展示してありました。(2008年2月20日撮影)
六勝寺と白河殿2  
六勝寺と白河殿3
  『参考資料』

(財)京都市埋蔵文化財研究所梶川敏夫「白河・六勝寺」京都市考古資料館講座の資料
(2012年2月25日)

林屋辰三郎「中世の開幕」講談社現代新書 「古代の都3・恒久の都平安京」吉川弘文館



 

 

 



コメント ( 8 ) | Trackback (  )


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コメント
 
 
 
素晴らしい景色だった事でしょう! (yukariko)
2015-10-01 21:45:36
他に貴族の別邸ぐらいしか立派な建物がない時代に、御願寺の六勝寺と白河殿が甍を並べてあの広い地域に建っていたのを想像してみるとさぞ壮観だったことでしょう。
埋もれたり、物の影にひっそりと置かれた石碑を丹念に探して写真と地図の図示して下さったので、凄い財力と権力を誇示した堂塔伽藍の一端が現代の私達にも垣間見える気がします。

それにしても熱に浮かされたかのように政治などそっちのけで次々に建てるのがすごいですね。
エジプトのファラオがピラミッドを生きているうちから建て始めたのと同じで、蓮のうてなに生まれ変われるようにと来世を願ったのでしょうか?
 
 
 
見落としが… (自閑)
2015-10-02 01:23:26
平安後期の象徴である六勝寺のご紹介、流石!と敬服致しました。歴史の教科書に一言も紹介がなく、京都に始めて来て知りました。
動物園にも入られたのですね。
拝見すると、円勝寺の発掘碑 、法勝寺の金堂基段などは、前を何度も通っていながら、なにも知らない事に恥じ入るばかりです。
写真の法勝寺と配置図には、とても参考になります。その位置を確かめるためだけにこの一年間、岡崎を歩き廻りましたので。

拙句
上ばかり十六夜の日にも月見草
(スーパームーンの十六夜の月ばかり見上げていて、月見草が綺麗に咲いていたのも知らないでいた)
 
 
 
yukarikoさま (sakura)
2015-10-02 16:51:51
白河天皇は法勝寺を建立するとすぐに院政を開きました。(院政時代の始まりです。)
それは長く続いた藤原氏による摂関政治を克服し、天皇の権力を取戻そうと、
上皇という自由な立場で(天皇は行事に縛られますから)
政治の実権を握ろうとしたのです。
法勝寺はこの院政の勢力を誇示するために造られ、
特にこの寺の巨大な塔(20階建てのビルの高さ)は、
院政の宣伝効果を考えて建てたとされています。

仏像にはそれぞれ役目があって、大仏は仏世界の統一者です。
大仏の持つ世界を統一する機能を政治の世界で持とうと願い、
聖武天皇は東大寺の大仏を造ったといわれます。鎮護国家の御利益です。

白河上皇も院政を行う政治権力の巨大さを願って、
法勝寺の本尊に大仏を選んだとされています。
このような大規模な寺院や仏を造って寄進したのは受領たちです。
彼らはその見返りに国司などに再任されています。
 
 
 
自閑さま (sakura)
2015-10-02 16:58:39
石垣が千年も前の金堂基壇と聞くと驚きますが、
このような石垣は山手の住宅街などでは見かけるものなので、
見過ごしてしまいます。
私も六勝寺の講座を受けるまで知りませんでした。

昭和50年に基壇西端にあたる高台上の民家が火事で焼失し、その跡地の発掘調査により、高台が金堂基壇の跡であることがわかり、
その後、東軒廊と回廊跡の一部も見つかったようです。

図書館へ行かれた時に改めてご覧になるかと思いますが、
石垣の西端は現在ガレージになっています。写真を載せておきました。
ガレージから裏側に周って見ましたが、石垣がよく残っているのは、
二条通りに面した所だけでした。

八角九重塔の石碑は、ちょっと見つけにくいのですが、
観覧車と八角形の説明板を目じるしに探していただくと
すぐに見つかるかと思います。
この九重塔は白川砂の軟弱な地盤を改良して建てたとのことでした。

白河・六勝寺の講座を受けたものの復習もしないでそのままにしていたのですが、
自閑さまがコメントに法勝寺の碑について書いてくださったので、
何だか背中を押されたような気がして記事にしました。
ありがとうございました。

 
 
 
エクセレント! (自閑)
2015-10-10 12:18:53
素晴らし限りです。
京都市内で、この石垣が、基壇だと知っている者は何人いるだろう?
白河院の庭も拝見できました。もちろん変な石がないか?写真撮りまくりです。
新古今の本が延滞したので急遽岡崎まで。
 
 
 
気分は探偵? (sakura)
2015-10-11 09:52:01
白河院の庭もご覧になれたようですね。

二条通りに立ち石垣の上にたつ金堂をイメージすると、
今までとは違った景色が見えてきます。
地震や雷、火災など、何度も被害を受けながら、
よくぞとどまってくれました。

訪ねてくださってありがとうございました。
 
 
 
ついにやって来ました動物園 (自閑)
2015-11-07 15:54:17
ついに動物園にやって来ました。
受け付けの方に聞いても詳細不明。やはり…。('_'?)
京都市埋文研究所の現地説明会の当時の説明資料を頂いたのでよしとしますか。
やはり、動物園にとって自分は異物なんですね。動物を見に来ていない家族も連れないオッサンなので。疎水の噴水を眺めながらのビールは格別です。
さて、貴ブログの案内を頼りにこれから碑を探します。
 
 
 
動物園にまで、ありがとうございます。 (sakura)
2015-11-08 08:50:14
うまくガイドできたでしょうか。
自閑さまは現地説明会の資料をgetされましたか。
私は残念なことをしてしまいました。

円勝寺では植木の刈込、築地跡では草ひき。
家族連れが多い動物園に1人で来て、動物には見向きもしないで、
石碑や石ころにカメラを向けるのですから。
なんだかおかしくなって、笑いそうになってしまいます

 
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