平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 



平宗盛(1147~1185=清盛の三男)は、清盛の正妻時子の長子で、
平重盛や平基盛とは腹違いの兄弟です。
清盛の威光で出世し、
兄の重盛が右大将から左大将に昇進した際には、
重盛の後任の右大将におさまりました。『平家物語・巻1・吾身栄華』は、
平家の繁栄を語る中、兄弟が左右の大将として並ぶ例は稀だと語っています。
将来を嘱望された重盛が亡くなり、治承5年(1181)に清盛が没すると、
宗盛が平家の家督を継ぎ、寿永元年(1182)に内大臣に昇進しました。

『平家物語』は、前半は異母兄重盛、
後半は弟の知盛と比較し、凡庸で無能な人物としています。
老齢の源頼政が挙兵にふみきった原因は、
評判の名馬「木の下(このした)」を頼政の嫡男伊豆守仲綱が
貸し渋った腹いせに宗盛は、その馬を取りあげ「仲綱」という
焼印まで押して散々いたぶりました。これが頼政の耳に入り恥辱に
耐えかねて謀叛を起こしたという。(『平家物語・巻4・競(きおう)』)

源義仲が倶利伽羅峠の戦いで平家の追討軍を破り都に迫った時、
宗盛は知盛の反対を押し切り、一門を引連れて
一矢もむくいず都を落ちて行きました。
十分な準備もないまま都落ちした上、宗盛には一門を
統率する能力がなく、叔父の頼盛は同調しませんでした。
宗盛は、一族に裏切や脱落者がでたことも
人力では抗えない運命と受け入れ、脱落する頼盛を追おうとした
越中次郎盛嗣(平盛俊の次男)を止めました。

一時、九州太宰府まで落ちのびましたが、
徐々に勢力を盛り返し要害の地「一ノ谷」に城郭を構え、
源氏との決戦に備えました。しかし、この
一ノ谷合戦で敗れ、
平忠度はじめ重要な武将たちを多く失いました。
その中には、まだ少年の平敦盛の姿もありました。
そして屋島の陣に移りましたが、そこでも源義経に敗れ
遂に壇ノ浦の戦いを迎えます。

特に宗盛の評判が悪いのは、壇ノ浦合戦以後です。
壇ノ浦合戦で阿波民部重能の裏切りを知った知盛が
重能を斬ろうとしましたが、宗盛はこれを押し止めて、
重能の命を助けたため、一門は滅亡しました。

一門が次々入水して死んでいく中、平家を最後まで支えた
重鎮平経盛も弟教盛とともに鎧の上に碇を背負い、
手を組んで入水しました。
鎧の上に錨を背負うのは、能の『碇潜(いかりかづき)』や、
歌舞伎の『碇知盛』で知られる『義経千本桜』で、
平知盛が海に飛び込む最期の場面です。
その原型がこの兄弟の入水時の装いにあったということです。

門脇中納言教盛(平通盛、平教経、業盛、僧忠快の父)、
修理大夫経盛(しゅりだゆうつねもり=平経正・経俊・敦盛の父)
兄弟は清盛の異母弟たちです。
すでに六十歳ほどの年齢であった二人は、
互いに一ノ谷合戦で息子たちを失っていましたが、
都落ちに同行した教盛の息子僧の忠快(ちゅうかい)は、
後に許され承久の乱後も活躍します。

次に、中将資盛(重盛の次男)、少将有盛(重盛の四男)の兄弟、
いとこの
左馬頭行盛(清盛の次男・平基盛の長男)、
この三人もともに手を組んで、一緒に海に沈みました。
一門の主だった人々は、こうして潔く最期を遂げていきますが、
総大将の宗盛、清宗(きよむね)父子はそうもせずに、
船端に出て辺りを見まわし途方にくれていました。

この親子の様子があまりにも情けなくて、家来が傍を通るふりをして
宗盛を海にドンと突き落とすと、清宗もすぐに飛び込みました。
入水した人々は、重い鎧を着こんだり、碇を背負ったので沈みましたが、
この父子は重石の用意もせず軽装、それに二人とも
水泳が達者だったので、
沈むこともできず浮き上がってしまいます。
宗盛は「息子が沈んだら自分も沈もう」清宗は「父が沈んだら自分も沈もう」と
思い互いに目と目を見交わして泳ぎ回るうちに伊勢三郎義盛の
熊手に引っ掛けられ、やすやすと生け捕られてしまいました。

それを見た宗盛の乳母子、
飛騨三郎左衛門景経(伊藤景経とも=藤原景家の子)は、
小舟に乗って義盛の船に乗り移り、主君を救おうと太刀を抜いて、
斬りかかったので義盛は隙をつかれて危くなりました。
そこへ景経と義盛の間に義盛の童が割って入り
主を討たせまいと立ちはだかります。
景経はその頸をとり必死に戦いましたが、なんせ大勢に無勢、
剛の者として知られていた景経もついに宗盛の目の前で斬られてしまいました。

宗盛父子はお互いを気遣って泳ぎ回っているうちに生け捕られました。
右下では、教盛・経盛兄弟が碇を背負って入水しようとしています。
『平家物語絵巻・巻11』岡山・林原美術館蔵。
『平家物語図典』より転載。

京の大路を渡される一門の人々。前の牛車には宗盛父子が乗っています。
一門の惨めなさまに涙を流す群衆。
『平家物語・巻11』東京・永青文庫蔵。『平家物語図典』より転載。
競が事(渡辺競)   平家終焉の地(平宗盛胴塚・清宗胴塚)  
『参考資料』
富倉徳次郎「平家物語全注釈(下巻1)」角川書店、昭和42年
新潮日本古典集成「平家物語(下)」新潮社、平成15年
上横手雅敬「源平争乱と平家物語」角川選書、平成13年
高橋昌明「平家の群像 物語から史実へ」岩波新書、2009年
日下力・鈴木彰・出口久徳著「平家物語を知る事典」東京堂出版、2006年
「平家物語図典」小学館、2010年

 



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