平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 



京都市寺町にある鳩居(きゅうきょ)堂は、和文具・香製造の老舗です。
初代は熊谷直実から数えて20代目の熊谷直心(じきしん)で、
彼が京都で医学や薬学を学び、寛文3年(1663)に
本能寺の門前で薬種商「鳩居堂」を創業したのが始まりです。

熊谷直実は、『平家物語』や文楽・歌舞伎の演目『一谷嫩(ふたば)軍記』で
知られる源氏方の武将です。
源平一ノ谷合戦では、涙ながらに平敦盛を討ち取り、
その後出家して法然の弟子となり蓮生と名のり、
やがてすさましいばかりの念仏行者となりました。





一対の鳩が向かい合う商標は、たびたび合戦で手柄を立てた熊谷直実が
源頼朝からおくられた旗印を図案化したもので、
屋号は直心が教えをうけた儒学者・室鳩巣(むろきゅうそう)が、
中国の「詩経」の一節からとって名づけました。

現在の営業形態を固めたのが、四代目の熊谷直恭(なおやす)で、
漢方薬原料のビャクダン、沈香、丁子などを使って
お香の製造を始めると同時に、薬種原料とあわせて
中国より輸入した筆や墨、唐紙なども販売するようになります。
以来、代々文人墨客や有力者などと親交を結ぶようになり、
直恭と交流のあった儒学者頼山陽に筆や墨色の改良を指導してもらい、
筆や墨の製造も始めます。

事業で成功した直恭は、社会奉仕にも力を注ぐようになりました。
天保の大飢饉では、三条大橋の河原に数棟の小屋を建て人々を救い、
そして長崎に医師を派遣して種痘を持ち帰らせ
天然痘の種痘接種所「有信堂」を開設します。
明治に入ると、直恭の意志を受けついだ息子の直孝が
「有信堂」を教育塾に改めます。この塾は日本初の小学校として開校した
柳池(りゅうち)小学校の母体となり、
直孝はこの小学校建築資金の大半を負担しました。また幕末には
勤王の志士を匿い資金を援助した勤皇家としても知られています。

こうした長年の社会貢献や明治政府への協力が認められ、
八代目の熊谷直行は太政大臣三条実美から三条家に900年来
伝承されてきた宮中御用の「合せ香」の配合をすべて伝授され、
宮中の御用を勤めるため東京に進出していきました。
現在、東京銀座の一等地にも本店があり、
東京では本店の他に四つの店舗を運営しています。
『アクセス』
「鳩居堂」
京都市中京区寺町姉小路上ル下本能寺前町520 
市バス「京都市役所前」下車 徒歩約2
 
『参考資料』
「日本経済新聞・200年企業」(平成22915日朝刊)
「京都府の歴史散歩」(上)山川出版社 「京都大事典」淡交社

 



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