風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

第一次大戦から100年

2014-01-28 00:29:45 | 時事放談
 世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)が、1月22日から25日まで、スイスのダボスで開催されました。今回、安倍首相は、日本の首相として初めて基調講演を行ったのでしたが、そのことよりも、22日に行われた外国メディア関係者との意見交換で、悪化している現在の日・中関係を、第一次大戦で対決する前の英・独関係に譬えて説明したことが、話題をさらってしまいました。
 正確には、日中が軍事衝突に発展する可能性はないかと問われて、次のように答えたと報じられています(1/24付産経Web)。

(引用)今年は第一次大戦から100年を迎える年だ。当時、英独は大きな経済関係にあったにもかかわらず、大戦に至った歴史的経緯があった。/ご質問のようなことが起きることは、日中双方にとって大きな損失であるのみならず、世界にとって大きな損失になる。そうならないようにしなくてはならない。中国の経済発展に伴って日中の経済関係が拡大する中で、問題があるときには相互のコミュニケーションを緊密にすることが必要だ。(引用おわり)

 麻生発言と同じで、これだけ読むと何の問題もないように思います。ところが、首相が発言していない内容を通訳が伝えたことが原因で、英紙などが「日中関係について第一次大戦前の英国とドイツの関係と『類似性』があると発言した」と誤って伝えた、と言われます。実際に問題となっているBBCのRobert PestonというBusiness Editorのコラムを読んでみたところ、悪意すら感じさせる、やや挑発的な内容でした(http://www.bbc.co.uk/news/business-25847276)。そういうキャラを演じているのか、Wikipediaを見ると、自ら"culturally Jewish"と名乗っているそうなので、普段から歴史認識に関していろいろ個人的に思うところがあるのか、さらに直接的には、ダボス会議で安倍首相が靖国参拝について釈明したことが癇に障ったか、あるいは他に何か毒づかせる背景があったのか。
 こういった個別の事象はともかくとして、一般的に、国際政治の世界では、覇権国(国際システムの秩序提供者)と台頭する挑戦国がパワー・トランジションを経験する過程で、しばしば秩序の混乱や大戦争が生じて来たと論じられ、20世紀後半の秩序形成を担った米国と、21世紀に台頭する中国との本格的な対立は避けられないと結論づける見方があるのは周知の通りであり、現在の米・中関係を1914年当時の英・独関係に重ね合わせる歴史家も多いのは認識すべきであり、安倍首相はそれを知ってか知らでか、よりによってその譬えを日本に当てはめてしまったものですから、飛んで火にいる夏の虫、その発言が注目を集めたのは無理もないのかも知れません。
 ドイツ在住ジャーナリスト熊谷徹氏によると、ドイツの保守系の高級紙「フランクフルター・アルゲマイネ」の昨年12月3日第一面に「極東を覆う暗雲」と題する社説が掲載されたそうです。外交・安全保障問題を担当するクラウス・ディーター・フランケンベルガー論説委員は、この記事の中で、オバマ政権の元官僚が語った「尖閣諸島が、21世紀のサラエボになることを危惧している」という言葉を引用し、次のように述べているそうです。

(引用)1914年のサラエボと今日の尖閣諸島を比べるのは、あまりにもセンセーショナルだと考える人もいるかもしれない。しかし安全保障を担当する米国政府の関係者がこのような比較を行うということは、東アジアが紛争の火種を数多く持っていることを意味している。(中略)東アジアの小さな島をきっかけとする対立が制御不能に陥り、地域的な紛争が不測の事態を契機に大国の衝突につながる危険はないのだろうか(引用おわり)

 更に続けて、同論説委員は、日本政府批判を展開していると言います。

(引用)中国、日本、韓国では国粋主義的な勢力がナショナリズムを煽っている。特に中国と韓国では、過去に日本に占領・支配された記憶が今なお人々の間に残り、傷をうずかせている。その理由の1つは、現在の日本政府が歴史的な責任を重視せず、過去との対決を疎かにしているからだ(引用おわり)

 これに関して、熊谷氏は、ドイツにとって中国はアジアで最大、全世界で第3位の貿易相手国であり、市場としての重要性は高まるばかりで、日・中対立に関するドイツメディアの姿勢も、しばしば中国寄りになることが背景にあると指摘されています。そして、熊谷氏は、「日本は過去と十分に対決していない」という論調は、ドイツでは20年以上前から頻繁に見られるものであり、特に珍しいものではないが、こうした外国のメディアの報道によって、日本のイメージがさらに悪化することを懸念されています。さらに、ドイツが過去半世紀の間、ナチス時代の歴史を糾弾し、若い世代に歴史的事実を伝える努力を続けて来たのはよく知られるところですが、熊谷氏は、ドイツが過去と対決してきたのは、道義的な理由だけではなく、10ヶ国と国境を接した貿易依存国が生き残るための「リスクマネジメント」でもあったとも指摘されています。
 このあたりの扱いはなかなか難しいところです。
 日本で歴史修正主義が出て来たと言っては批判されるように、戦後70年近く経ち、ドイツでも歴史修正主義の動きがあるという話を、別のドイツ在住の作家から聞いたことがあります。しかし、ドイツの場合は巧妙で、ナチスという絶対的な悪の存在があるせいでしょう、日本と違って、戦時中のドイツは悪くなかったとは決して言わないそうです。そうではなく、ドイツ人も被害者だったと主張するのだそうです。
 しかしドイツと日本とでは決定的に違うことがあります。第二次大戦後に国際軍事裁判所憲章で初めて規定され、ニュールンベルグ裁判が管轄する犯罪とされた、(A)平和に対する罪、(B)戦争犯罪、(C)人道に対する罪の三つの内、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)は衝撃的であり、(C)人道に対する罪が適用されました。他方、極東国際軍事裁判では、日本の戦争犯罪とされるものに対して(C)人道に対する罪は適用されませんでした。南京事件(いわゆる南京大虐殺)は、広島と長崎の原爆投下による被害を相対化するためのデッチアゲだと言われますが、連合国は、これすらも交戦法違反として問責したのであって、日本にはナチスのような民族や特定の集団に対する絶滅意図がなかったと判断し、人道に対する罪を適用しませんでした(以上、Wikipedia)。
 日本は、先の戦争をどう総括するのか。国内に閉じた話であれば自由にやって構いませんが、ネット社会で、日本だけに閉じることはあり得ず、むしろ世界に向けて積極的にメッセージを発信していくことが重要でしょう。経済的に重要性を増す中国の情報戦に対抗するためには是非とも必要なことです。しかし、過去に中・韓に対して行って来たように、ただ無条件に謝罪するだけでは、先人の意思決定を、ひいては日本民族の歴史を、冒涜することになりかねませんし、ただ自己正当化するだけでは旧・連合国の反発を招くのは必至です。戦略的な対応が望まれます。ダボス会議における「第一次大戦から100年」に関する一連の記事を見ながら、まさにNSCの最初で最大の仕事はこのあたりにあるのではないかと、つらつら思った次第でした。
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