風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

久しぶりの同窓会

2013-11-09 14:25:11 | 日々の生活
 先日、中学時代の学年同窓会がありました。卒業以来、30数年ぶりに、140人余りが参集しました。
 よく集まったものだと思います。幹事団の頑張りのお陰ですが、140人と言えば、実に三人に一人が顔を見せたことになります。他に比べるすべを知りませんが、30数年という時間を経て、驚くべき出席率ではないでしょうか。
 そもそも同窓会といえば、高校時代か大学時代のもので、いつでも誰かしら集まることが出来る大なり小なりのネットワークがあるものです。ところが中学時代となると、ほんの数年しか変わらないのに、遠い。それは、中学時代が、子供から大人になる成長途上の所謂「思春期」で、人間関係が成熟していないせいだろうと思います。言わば、ほんの数年の違いで、多くが同じ高校に、より成熟した人間関係に、進むものですから、中学時代の同窓会の必要性が感じられないというのが真相でしょう。カラクリはまさにそこにあって、地元のある高校の学年同窓会があり、じゃあ中学も、という話で盛り上がったのだそうです。そうでもなければ、これほどの友達の輪を広げることは難しかったでしょう。今では年賀状が途絶えて東京に暮らす私も、なんとか手繰り寄せられました。もっとも、大阪の田舎の公立中学校で、多くは地元で就職し近辺に生活しているからこそのことでもあります。
 さて、日本の学校は、高校、大学と上がるにつれて、偏差値によって選り分けられて行きますので、その後の人生は、似たり寄ったりになりかねません。それに引き換え、中学時代(さらには小学校)の同級生のその後は実に多彩です。
 自動車修理工場を経営しながら、時々、車を組み立てたり、レーシングカーのメカのメンテナンスを大手メーカーから請け負って、国内外のレースを転戦するやつがいます。小学生の頃から根っからの勉強ぎらいで、いつもふらふら、悪戯ばかりしていたのに、図画工作の時間になると意外な凝り性を見せて、緻密なものを創作していたのを思い出します。
 子供の頃から自転車好きだった男は、10~20代の頃、世界中を自転車で放浪し、中南米を気に入って、半年の予定が一年半も居座ることになって、カネが尽きて、知人に送金してもらって、それでもまたカネが尽きて、ニューヨークでアルバイトをして、また中南米に戻って放浪したほど。結局、就職し損なって、今は駅前で小さな英会話スクールを経営しています。異文化コミュニケーションの講義をするから雇ってくれと頼んだら、ネイティブしか雇わないと軽くあしらわれてしまいました。正論です。かつては、たらし、などとからかわれるほど(当時、大いに妬みや羨望もあったことでしょう)いろんな女の子とすぐに仲良く話す人懐っこさが、海外生活では活きたことでしょう。よく無事で帰ってこれたものです。
 小学校5~6年の頃、一番よく遊んだ男は、独特の感性をもち、お互いに違いを認めつつ妙にウマがあったものでしたが、当時から子供らしくないほど好みにうるさくて、サラリーマンは似合わないと思ったら、地元で有名なバーのオヤジをやっています。今でも相変わらず好みにうるさそう。
 そうかと思えば、中学校一の秀才で、灘高受験を失敗して、滑り止めで私と同じ高校に進んだ男は、今は大手電機メーカーの中間管理職で、私とはなんとなく似たような境遇です。学生時代に勉強して勉強が出来た友達は(好きか嫌いかは別にして)、勉強は出来て当たり前と思う内に、なんだか人生の選択肢を狭めて窮屈にしてしまっているような気がしないでもありません。それに引き換え勉強が嫌いで勉強しなかった友達は(勉強が出来たか出来なかったかは別にして)、好きな道に進んで生き生きとしているように見えますし、同窓会の幹事団や世話役として活躍したのも彼らでしたが、もとより他人の幸せを傍が決めつけるわけには行きません。30数年もの時間を一瞬のうちに乗り越え、今の地位や職業を離れて、大いに話が弾み、大いに刺激を受けたひとときでした。同じ年頃に同じ場所で同じ経験をした縁というものは、偉大なものです。多感な学生時代だから、なおのことです。
コメント
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