友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

男はやっぱり男だから

2016年12月12日 17時49分53秒 | Weblog

 テレビドラマ『漱石悶々』を観て、笑ってしまった。もちろん、ドラマだから本当のことではないのだろうが、脚本を書いたのが女性だったから、そう思って観ていたのかも知れない。私も胃潰瘍だったことがあるから、漱石の苦しみはよくわかる。胃が切り裂かれるように痛い。死んだ方が楽になれると何度思ったか知れない。仕事から解放されたらコロリと無くなってしまった。その代わり、インポになって慌てた。

 漱石は弟子や友人と一緒にいる時は何も考えずにいるから楽なのだろう。妻の一言や緊張する相手と対面する時は、極度に身構えてしまうから胃が刺すように痛む。ドラマの中でも度々胃痛に悩まされていたが、ある時余りの激痛に倒れ込んでしまう。それは確か、漱石が恋心を抱いて悶々とした気持ちが極度に高まった時だったと思う。そう、漱石は口やかましい妻の元から離れて京都に遊びに来ていて、置屋の女将に恋してしまったのだ。

 襖を隔てて二人が会話をする場面では、それ以上の進展は見られなかったが、ここで女将が「そちらにいってもよろしゅうおますか」と声をかけたら、漱石は待っていたという素振りを押さえて、「どうぞ」と答えただろう。そうして二人が一夜を過ごしたなら、漱石の胃潰瘍もたちまち治ってしまったかも知れない。男と女はそれでいいだろう。漱石は才覚のある女将に心惹かれていたし、女将も漱石の純朴さが嫌ではなかったはずだ。

 「時には娼婦のように 淫らな女になりな 真赤な口紅つけて 黒い靴下をはいて」と黒沢年雄が歌ったのを思い出す。「バカバカしい人生より バカバカしいひとときがうれしい」と続く。「時には娼婦のように 下品な女になりな 素敵と叫んでおくれ 大きな声を出しなよ 自分で乳房をつかみ 私に与えておくれ まるで乳呑み児のように むさぼりついてあげよう」と、きっと漱石もそう思ったはずだ。どんなに偉い文豪でも男はやっぱり男だから。

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