友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

大恋愛の結婚だったのに

2016年12月22日 18時00分46秒 | Weblog

 韓国テレビドラマ『冬のソナタ』がテレビで取り上げられていた。チラッと見たけど、やっぱり美しいドラマだ。情景の撮影もきれいだけど、主演のヨンさんとペジュウさんも美男美女だけど、やっぱり日本人の心を打ったのは「純愛」だと思う。72歳の私たちが高校生の頃、まだこの映画ほど進んではいなかった。しかし、中には手を取り合って下校していく男女もいたから、私は憧れていたのに実行できなかったのかも知れない。

 『冬のソナタ』が韓国で放映されたのは2002年で、日本のテレビ局が取り上げたのは2年後である。このドラマが先陣となり、一気に韓流ドラマがアジアに広がった。「愛する人が傍にいてくれればそれでいい」。恋した時の純粋な気持ちだ。そして人々は「愛する」気持ちを確固たるものにするために、結婚して「家」をつくる。ところが生活を始めると次第に「愛する」ことの難しさを感じるようになる。

 私が愛している量と相手が愛してくれている量を比較しようとする。比較できないものを比較しようとするのだから、心は既に不満になっている。私がこれだけ努力しているのに、どうして気付いてくれないのか、なぜもっと優しくしてくれないのか、相手に対して不満が膨らんでいく。自分のことは自分では分析できないが、相手のことは目に見える。なぜ、私より仕事を優先するのか、なぜ、私に関心を示さないのか、雪崩のように不満が爆発する。

 結婚して半年の若い男女がいる。結婚式は上げたけれど、籍は入れてないという。今の若い人はそんなものかと思うけれど、やがて二人の気持ちにすれ違いが生まれきた。共同生活は妥協が無ければうまくいかない。自分の方から「非を認める」ようにしなければ収まりがつかない。歳を重ねれば次第に分かることだが、若い人たちには「妥協は不純」と見えるのかも知れない。「どうなることやら」とそのお母さんは心配していた。本人たちのことは本人たちに任せるしかない。


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