友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

孫娘のクリスマス・プレゼント

2016年12月01日 17時55分26秒 | Weblog

 小1の孫娘のクリスマス・プレゼントのことでババは悩んでいる。「あの子のプレゼントに何がいい?」と長女に訊ねたところ、ケバケバした文房具の写真をメールで送って来た。「こんなものを持って学校へ行かせられない」とカミさんは言う。「これは感心しませんと伝えてやればいいんじゃないの」と私が言うのに、「そんなことは言えない」と躊躇している。

 「あの子が欲しいものなのだから、プレゼントすれば喜ぶんだから」とまで言う。「ボクは感心しないけど、そう思うならそうすれば」と言いかけて黙った。どんな子に育てていくかは両親の務めだけれど、ジジババにも孫になって欲しい姿がある。ケバケバしたものが好みの子にさせたいのなら親の責任ですればいい。少なくとも私は落ち着いた雰囲気のある子になって欲しい。

 プレゼントは贈る側の気持ちを反映したものがいいのではないか。何でも子どもが欲しいというものを与えることではないと思う。私たちが子どもの頃はプレゼントの習慣はなかった。そのせいなのか分からないが、我が家ではクリスマス・イヴに、子どもたちが寝静まってから枕元にプレゼントを置いた。翌朝、「サンタさんが来た」と大喜びだった。かなり長い間、サンタがいると信じていた。

 誕生日にお祝いの食事をしたり、年中行事をそれなりに大事に行ってきた。自分たちの子どもの頃にしてもらえなかったことを無意識にしてきている。そんな習慣が続いているので、孫たちにも何かプレゼントしたいのだ。けれど、孫が欲しがるものを与える気にはなれない。そこには私の思いが無いからだ。子どもたちが小学校の高学年だったか、お泊りが流行っていて、長女が「お泊りしていい?」と聞いてきた時、私は「ダメだ」と許さなかった。

 子どもは「誰だってやっている」とか「みんな持ってる」とか言って抵抗するが、「ヨソはよそ。ウチはうち」と聞く耳を持たなかった。子どもからすれば「融通の利かない頑固オヤジ」だったかも知れないが、親の美意識や価値観をキチンと伝えておきたかった。さて、孫娘へのプレゼントをカミさんはどうするつもりだろう。

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