友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

次女からのクリスマス・プレゼント

2016年12月23日 18時27分41秒 | Weblog

 「空けておいてください」と言われていたのに、キャンセルになってしまい、それなら年賀状を書くことに専念しようと朝から頑張った。1枚1枚、相手の顔を思い出しながら書くが、どうしてもいくつかのパターンになっていく。最近、書く時はメガネを外す。ところが書いてみると、どうも焦点が合わない。しばらく続けていると思考力も下がってきて、目も疲れてくるので、「ヨシ、休憩」ということになる。

 ドンドン書けるはずだったのに、なかなか進まない。昨年受け取った年賀状などを見直して、また、書き始めるが文字が歪んでいたり、列が斜めになってきたりする。どうも目が悪くなってきた。目が悪いと、不美人が美人に見えるのかといえば、そうではなくて区別がつかないのだ。食べず嫌いにならなくてよいのかも知れないなどと思っていたら、仙台に住む次女から小包が届いた。着られなくなった娘の洋服と共に、私たちへのクリスマスのプレゼントが入っていた。

 「二人で素敵な時間を過ごしてください」とカード付きのワインである。これで明日はローストビーフとワインのクリスマスだ。いやもう一つ、何かが入っている。「久しぶりに編んだら左右大きさが違ってしまったけど、使ってください」と手編みの靴下が2足きれいな包装紙に包んである。履いてみたら、私にはかなり大きい。ダンナの靴下を参考にしたのだろう。大は小を兼ねるという。『かあさんの歌』ではないが、次女の温かさが伝わってくる。

 NHKテレビの朝ドラ『べっぴん』に、お母さんが古いセーターをほどき、ヤカンの蒸気で毛糸を伸ばし、新しくセーターを編む場面があった。私の母もよくそんなことをしていた。明日は遠足とかいう日の夜は、徹夜して編んだのだろう、翌朝には新しいセーターが枕元に置いてあった。母は裁縫の先生だったが編み物も教えていたし、和服も仕立てていた。正月の晴れ着を作るため、年末は徹夜することが多かった。

 次女が編み物をするのは私の母の血なのか。「私の母もセーターをよく編んでくれました」とカミさんが言う。そうか、昔のお母さんはみんなそうして子どものために徹夜していたのか。


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