友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

小学校の時を思い出していた

2016年12月03日 18時21分52秒 | Weblog

 余りにもよい天気だったので、朝からバラの鉢の土を入れ替えた。バラの鉢は12号と13号だが、一回り大きな鉢が3個ある。いきなり大きなものはしんどいので、まずは12号の鉢から始める。全部で6個出来た時は午後4時を回っていた。先日、チューリップの球根を植えた時、その日は何ともなかったのに、翌日は太ももがパンパだった。今日は無理をしないように、時々身体を伸ばして休みながら作業をした。

 「ラジオを聴きながら作業をする」と言う人は多いが、私はもっぱら小学校の運動場からの声を聞いている。小学4年の時、クラスにボスがいて、授業後の教室でプロレスごっこをやっていた。私はチビで口数の少ない色白の痩せた男の子だったが、なぜか残されてプロレスごっこをさせられた。ボスは身体も大きくプロレスの技もよく知っていて、私を含めてほとんどの子がボスの言いなりだった。

 写生大会の時はボスの絵を描かされた。ボスは佳作になったが、私の絵は時間が無くて入賞もしなかった。朝、教室に入ると「宿題をやれ」とノートを渡される。学校へ行くのが嫌になり、今で言う登校拒否になった。こんな自分が情けなくて、「強い意志」を持つ決意をした。消極的でおとなし過ぎる性格を変えようと思い、児童会の会長もやった。

 中学校も同じだったはずなのに、ボスはどこにいたのだろうと思うほど目立たなかった。中学校の時のクラス会の2次会でスナックに入ったら、ボスが先客でいた。誰かが「お前にはよくいじめられた」とボスに話しかけたが全然覚えていなかった。いじめた側は覚えていないのか、あれほど苦しんだのは何だったのかと思った。

 ボスは中学校の時よりもさらに影の薄い中年になっていた。今、あいつはどうしているのだろう。小学校の時は野球選手になるようなことを言っていたが、中学では野球部にいなかったし、仕事は何をしたのだろう。運動場の少年野球の子どもたちとコーチの声を聞いているうちに、どうしてなのか小学校の時を思い出していた。

コメント (2)
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