友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

出会った人が人生の宝もの

2016年12月16日 17時33分46秒 | Weblog

 今朝、神奈川県に引っ越した井戸掘り仲間の先輩から電話があった。先輩のところへ井戸を掘って欲しいという相談があったので、私の電話番号を教えておいたから頼むということであった。「前よりも若々しい声ですね」と言うと、「こちらでも詩吟を続けているよ。82歳になった」と答える。「見ているよ。なかなか面白いね」と言われ、話の流れからブログのことだと分かり、恐縮した。

 先輩は技術者で道具をいろいろ考えてくれた。気が短いところもあったが、正直で、教えられることが多かった。先輩たちの昔話は、私に人生を考えさせてくれ、手本でもあった。思いやりとか、優しさはこういう風に示すものなのかと思うこともいろいろあった。人との出会いで人生は決まるというけれど、それは真実だと思う。出会った人が自分の人生の宝になるか否かは、本人次第というのも真実のようだ。

 小学校に上がる前、多分兄貴のものだったと思う絵本があった。那須与一が船上の扇を射落とす物語だった。絵がとてもきれい、真似をして描いた。小学校の時、兄貴の部屋でアメリカの雑誌に特集されたダリの絵を見て驚いた。絵本とは全く違った構図で、写真のように描かれていた。子どもの頃の私に強い印象を与えてくれた絵だったが、「絵描きでは食っていけない」と両親が言っていたこともあって画家になりたいとは思わなかった。

 私がキリスト教に関心を持ったのは、小学校の頃に聞いていたラジオ番組『ルーテル・アワー』だった。だからだったのか、図書室で『アンクル・トムの小屋』を見つけて読み、読書感想文を書いた。それがきっかけで中学校への通学路にあった教会に行き、「聖書を知りたい」と話して通うようになった。中学3年の時は、教会の聖書研究会にクラスの男子の多くを教会に引っ張り込んだ。

 キリスト教の考えと父母の仏教への慣習が私の中で溶け合っていった。生涯の友が形成されていったのはこの頃からなのだろうか。小学校の高学年から中学校にかけて出会った先生の影響も大きいし、初恋もそんな時の出会いだった。


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