蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

暑い中、家でラーメンは作りたくない

2023-07-21 | 日々のこと
スマホに勝手に現れる広告がうるさい。
邪魔。鬱陶しい。
消しても消しても復活するゾンビ広告にはヘキヘキする。
自宅でも不快だが、電車内がまた微妙。
アダルトコミックのえげつないシーンが、デカデカとスマホ画面の半分を占める。
H最中の、いかにも白けるほどデフォルメした描写が、これでもか、と画面に現れる。
わたしはそっち系アニメやHサイトに出入りしたことはない。
どうしたら画面から根本的に根絶できるのか。
忌々しい。
だいたい、わたしのような高齢婦人が涼しげな顔をしてなんでデカデカと誇張された描写のHアニメ?
絶対に合わない。(と、たぶん思う)

それはそうと。
話は変わる。

昨日、小学校は終業式。今日から夏休み。
で、昨日、終業式の後、昼食を食べに来た小学生男児孫たち。
ソーメンを中華風に肉や野菜と炒めた。
(焼きそばが無かったから代わりにソーメンで代用)
すると小5男孫が、「ラーメンがいい!」と言う。
この暑いのになにがラーメンなん?!と、「ラーメンは暑いからちょっとねえ」と渋ると、
「じゃあ来週、ラーメン!!」と言い切る。
「約束は出来ない」とわたしも引かない。
絶対にラーメンは作りたくない。暑い。
夏バテが益々重篤化する。

で、彼が、焼きそば風ソーメンの次に食べたのは、冷ソーメン。
麺つゆボトルに表記してあった「冷麦つゆ」を見て「冷麦って何?」と小5孫。
「冷そうめんのことよ」と、わたし。
彼は、麺つゆをガラス容器にドボドボと注いだ。
あんなにたくさん麺つゆを使って、あと、麺つゆが余るのに勿体無いなあと思っていたら、彼はソーメンを麺つゆを付けて食べ進めた。
その後、麺つゆを底から1センチだけ残して、ごくごくと麺つゆを飲んだ。
そして、最後の1センチの麺つゆで残りの冷そうめんを付けて食べた。
あらまあ。
孫たち(長女の)は、皆んな、ソースやタレや、つゆが、大好きでゴクゴク、ペロペロ。
何か間違っているのでは?
長女家は、味が薄い自然派食事だからか?
ケチャップは特に危険。
あればあるほど食べてしまう。
これ、明らかにおかしくないか?
まあ日頃、素材重視の薄味だと想像するので(食事作りはパパ担当)、せめてばあちゃん家で濃い味のものが食べたい(舐めたい)のは、わからないでもない。
子供のすることって、想定内だけど想定外で、自分の行動と違うから、びっくりする。


ほら見たことか、の顛末(てんまつ)

2023-07-19 | 日々のこと
室内36°超え、などと、うだる暑さに丸1日、身を任せていたら、身体の調子が狂った。
じっと36°の部屋で、小説「悪女について」を読んだり、趣味SNSで遊んだりしていた。
小説を読む部屋とスマホ遊びの部屋は扉1枚隣同士だが、扉は解放しているため、どの部屋も同じ室温。
暑いまま、深夜までTVを見ていた。
暑さなど何じゃらホイと、完全に侮っていた。
どっと一気に結果が来た。
翌日(月曜)は高熱にうなされ、昨日(火曜)も熱がひかず、ダウン。
今日もまだ頭痛がして調子が悪いがアポがあり家に居るわけにはいかず、熱が下がったことを良いことに出かける。
洗面台の前で立っているのも疲れ、時々椅子に座る。
バス停まで、ゼーゼーハーバー。
電車をホームで待つのもリュックが重く、肩で息をしていた。
しんどい〜。立っていられない〜。


健康は何よりも大切だ。
骨身に沁みる。
身体の調子が狂うと苦しいことこの上ない。
何もいらないから、健康でありたい!と2日間、ずっと臥せってそう思った。
体調管理は自己管理だ、と自省の念。
若い頃は全くなんともなくへっちゃらだったのに。
気をつけなければいけない。

それにしてもまるまる2日、よく寝ていられるものだと感心した。
朝昼夕と寝ているので、肝心の夜の就寝時には目が覚めて眠れない。
これは困ったと寝付きの悪い不眠症の気分を味わうことになったが、幾つも幾つも細切れの夢を見ていたら窓の外が明るくなっていた。
ああやれやれ。

病気になると、ひたすら元に戻ることだけを強く願う。
よく考えると、わたしの子供たちは(風邪は引くとしても)大きな病気になったことがない。
学校を一日も休んでいない。
夫も健康。仕事を休んだことがない。
(数年前、一過性の病気で入院したが)
健康には感謝である。
健康体に産んでくれた親に感謝である。

もっと歳が行って回復出来ない事態や、災害などの非常事態で体調を崩したりすることもあるかと思うと不安になる。
が、とりあえず、回復傾向なのでホッとしている。

有吉佐和子の「悪女について」が良くなかったのではなかろうか。
責任転嫁か。
TVドラマでみたばかりなのに、一挙に読もうとするだけの面白さがあったのだろうけれど、どうも人工甘味料が多すぎるスィーツを食べた気分。
芸能ゴシップ女性週刊誌を読んだような。
後味が良いのは重厚な「助左衛門四代記」。
あまり日頃、頭を使っていないので、一気に読んだのが悪かったのか。
読書家はすごいスピードで量を読むようだが、わたしは無理。
身体も頭も、自分のペースで行きたい。



危険な暑さ

2023-07-17 | 日々のこと
危険な暑さ。
外出中の家族に室内温度写真をLINEで送ったら、非難轟轟。
年寄りなんだからそんな気温の部屋で倒れたら救急車搬送にでもなると、家族が迷惑。
温度を29℃に設定して直ちにエアコンをつけろ!と。
高い室温、記録更新!とチャラけてLINEしている場合ではない子供達の殺気だった雰囲気。
夫がいないから、思いっきりエアコンをつけない生活に喜び勇んでいたのだが。

洗濯物はカンカン照りだから、すぐ乾き、表面温度が熱い熱い。
取り入れるのも、アッチッチ。
次女は孫体調不良のため、目的の遊び場に連れて行かなかったそうだ。
名古屋は昨日は酷暑。
連れて行かなくて正解!暑いわあと、長女からLINEが来た。
こんなに暑いのに夫はゴルフ三昧。
お疲れ様。
きっと真っ赤に日焼けして帰ってくることだろう。
暑い中、わたしは外出しなくて良かった。
つくづくそう思う。

が、朝は涼しいが32℃を超えたら今日はエアコンをつけようと意気込んでいる。

昨日は14時ぐらいに地震があり、ヒヤッとした。
地震速報を見るためにNHK TVをつけると、「森の番人」みたいな特集をやっていた。
「水の守人 京都 鴨川の源流 めぐる生命の物語」
自然と共に暮らし、自然の偉大さを感じ、なぜか涙がはらはら溢れ出た。

あとは、いつもは長女一家と賑やかに見る「ポツンと一軒家」を一人で見た。
高齢のお母さんと暮らすシニア。明るいバイタリティある男性だ。
水を確保することの厳しさを痛感した。

それと車で5時間かけて遥々自宅から、かつて仲間3人で手作りした山小屋に通う、70歳手前のシニア。
他の2人はまだ仕事現役で時間が取れないらしい。

奥さんたちも集まることがあるそうだ。
今は畑で野菜作りをしている。
わたしはTVで見て参加。見るだけ参加。
絶対に同行できない。
自然に包まれた山の暮らしは、山好きにはたまらないだろうけれど、わたしは行動として登山したり山好きではないので(アウトドアが苦手)、遠くからご苦労様、と、感心して見ている。
通えるのも、あと10年ぐらいだろうか。
ご本人は身体が動かなくなるまで通うと仰っていたが。
身体(体力)とエネルギーは、切っても切れない。
いまのうちに精一杯、楽しんでいただきたいものだ。
わたしが奥さんなら、ニコニコ笑顔で、行ってらっしゃ〜い、と自宅からお見送りするのは間違いない。
我々家族は全員、軟弱なので、仕事でもないのに辛いシンドイ目は避けたい。
だが、本人が楽しければそれでよし。
(我々は山男、山女ではないので、ご苦労さまと思うのみ)

わたしの両親は作庭された庭や日本家屋を自らの手で掃除し整えて美しく保つのが趣味だったし、舅は、休日は朝から晩まで庭や畑の草引きに明け暮れていた。
姑の姑Aは、キュウリや茄子など、自分が食べる分を毎日畑から収穫していた。
一緒に暮らしている時、わたしもいくつかお裾分けをいただいた。
商家出身の姑Bは庭仕事や畑仕事が苦手だったので、おじいさんがいなくなったら芝生を剥いてしまおう、と舅が生前の時から言っていた。
実際に亡くなると、芝生はやめて、お花畑に変えた。
生きている人が好きなようにする。
生きている人の天下である。

わたしの実家の庭や日本家屋は、比較的近くに住む甥(姉の娘婿)が熱心にメンテナンスしてくれている。
とても助かっている。
愛情込めて手入れしていたら、庭や草木が可愛く愛おしくなってきた、と先日彼が言っていた。
適材適所の人材に恵まれた。
手入れは大変だが、命あるもの、自然に接するとこころが洗われる。

さて、今日はほどほどのところでエアコンをつけよう。
暑さから身を守るのは自分だから、周りに迷惑をかけないように心がけたい。



誰も居ない

2023-07-15 | 日々のこと
明日から日曜月曜と何をしよう?
家族は今日からそれぞれにお出かけ、お泊まり。
わたしだけが在宅。予定なし。
遠くに住む息子が「この連休、皆んな予定ある?」と、今週真ん中に帰省日の打診をしてきた。
わたし以外は全員、予定があったため、息子は帰省を見送った。
わたし(母ひとり)だけでは吸引力が少ない。
息子の顔を最も見たい、帰省を喜ぶ夫が不在だと、わたしも気が引ける。
息子も久しぶりに夫に顔を見せたいだろうし。
で、皆んな、あっちへ行ったりこっちへ来たり、で、家には居ない。
もぬけの殻。
なんだか気が抜ける。
これは一丁、わたしもお出かけしなければ、、、。
が、暑いしなあ、、、。
ごろごろ家でダラダラいるのが良いかも。
やはり、暑さはネックだ。
酷暑は情熱をむしり取る。
行き先には楽しいことが待っているにしても、行くまでと、帰って来てからの暑さを想像すると、やる気がもげる。
やはり情熱が低下しているようだ。

が、明日になればまた気が変わっているかも知れない。
明日には明日の風が吹く。
気分屋のわたし。

手近な楽しみ

2023-07-14 | 趣味
TVを見ながら、こくりこくり。
始まったようだ。老化現象。
昼寝をしないと22時を過ぎると眠くなる。
あるいは、関心、興味が低下した?
そりゃそうだろう。
TVは見る側は受け身、お仕着せだから。
口を開いて入れてもらうのをぼーっと待つだけ。
気合いを入れて番組をピンポイントで絞り込み、能動的に首を長くして待ち望んで見ているとは限らない。
毎週流される番組、惰性。
中にはピカッと光り、胸にグッと来るものに出会うこともあるが、そうそうしょっちゅうではない。
見る側も作る側も、常にエキサイティング、テンション維持は難しい。
激しくくだらない低俗なものもある。
(そういうのはハナから見ないが)
それもあってか、好きな番組なのに居眠り。


ただいま、余暇タイムをスマホから小説に移行中。
今、読んでいる本を読み終えたらまたスマホに戻るか、あるいは次の本を買う。

今、読んでいる本、とても面白い。
有吉佐和子の「悪女について」。
すでにTVで見たばかりなのに。
だが、原作と脚本が少し違う。
端折ってあるから仕方ない。

ヒロインではない女性たち、感じ悪い。
とは言え、自分に同じものが流れている。
否定と肯定が同時に存在し、分裂。
逆ベクトル同士、引っ張りあって、プラスマイナスゼロの普通の位置になっている。
柔和な人物となってニコニコ存在している。
ジキルとハイド。
有吉佐和子もそれを狙っていたのか、読む人が勝手に深読みするような文章力なのか。
ヒロインは、聖女と悪女の構図になっている。
一種の多重人格(解離性同一症)、軽症の疑いありか?

それにしても、先にTVドラマを見てしまったせいで、主人公はじめ、登場人物全員が、役を演じた俳優さんの顔、セリフ、動作になってしまう。
まるで、ハリソン・フォード演じるインディ・ジョーンズの若い頃の映像をCGで作成するかのごとく。
「悪女について」は、直近にTVで見たのがアダとなった。
いや、TVで見たからこそ、小説を買ったのだが、、、。
か細く小さい田中みな実さんは、適役だった。
騙され役のひとり、尾身としのりさんは、どんなダーティな役柄であろうと、わたしが勝手に描くイメージで好感を持っている。
あの顔はお得である。
とは言え、別のドラマで演じた役では、無味乾燥のツマラナイ人だった。
俳優がスゴイのか、原作がスゴイのか、演出がスゴイのか。
名バイプレイヤーの一人かと、個人的に思っている。(単に好きなだけかも)
ここのところNHKドラマでよく見かけるが、この人、NHKさんに好かれているようだ。

と、話は脱線。
演劇はよくわからないが、映画やミュージカル、TVドラマは、手近に手軽に安価で楽しめる娯楽の一つだ。
自分の身体が動かなくなっても、楽しみの種をまた一つ見つけた。
「TV鑑賞は安易に流される時間の使い方だ」と、幸福論を唱えるFIREブロガーは幸福自覚貢献度が低いと言うが、そうでもないと思う。
他にすることもなく、退屈凌ぎで見るのと、その時間を確保して積極的に能動的に見るのとでは違う。
同じだ、と言われたら、人によって感じ方や捉え方が違うので、自分の価値観だけで断定されると違和感を覚える。

とは言え、同じ作品を見ても、わたしの見方とまるっきり違う人の考えや感性に触れると刺激を受けることもあるし、落胆することもある。
自分だって自分の尺度で測っている。
が、最もガッカリするのは、全く何にも考えていない脳に出会った時。
ああ純粋無垢だ!と感動するかというと、(幼い子供になら感動するけれど)、なぜか、イラっと来る。
もちろん赤の他人ではなく、実際に関わりのある人であるが。
人には色んな面があるので、人のことは全く言えない。
わたしもさぞや、イラっとさせていることだろう。

その実例がある。
実例の人物とは6年ぐらい共に時間を過ごした。
水と油なのに、よく頑張った。
そういう人間関係を卒業して思うことは、、、ああよかった、である。
相性の悪いものは、ストレスの元になる。

さて。
話がどんどん脱線していく。
今日も暑いだろうけれど、がんばろう!
と、唐突に〆ます。




おや?歳を取らないインディ・ジョーンズ?

2023-07-12 | 老い
わたしの今の精神と生活は実年齢よりも10歳は上、つまり年老いている。
1歳でも1ヶ月でも若くいたい、と皆さんはエネルギーを振り絞って頑張る。
わたしはその逆。
前倒ししたほうが、楽。
なんで若くいなければならない?
歳を取ったつもりで、エネルギー温存。

日曜日の民放TV「ポツンと一軒家」、この番組を1番上孫が好きで、一緒に見ている。
この中に出てくる、おじいさん、おばあさん達のなんとお元気で活動的でよく働くことか。
えーーっ、88歳?
そのお歳で薪割り?薪で湯沸かし?沢へ水汲み?
日課は畑仕事。
自給自足。
還暦を超えた息子や娘が時々様子を見に来てくれる。
幸せな状況だ。

わたしが人生で1番元気な若い頃でも、そんな働きは無理で、ぐうたらしている。
都市育ち、体力不足のモヤシっ子だ。
山に生まれ山に育ち、山が1番居心地が良いのだろう。
山に抱かれた暮らし。

そこまで徹底しなくても、田舎暮らしに憧れて転居する人もいる。
一昔前は、老後は物価の安い海外暮らし、ロングステイが話題になっていた。
コロナや円安、状況は変わる。
あの当時の方々はどうされているだろう。


皆さん、夢や憧れを老後に果たそうと頑張る。
仕事を離れた時こそ自由の身!だと。
現実的にはどうか。
比較的お若いリタイア組は、趣味にイキイキ活発な動き。
気力も余裕もない人は、それなりに無難な暮らし。
10年もすると、身体のあちこちが傷んでくる。
人間として普通のことだ。
健康寿命が過ぎるのは速い。
次にやって来るのは、アフター健康寿命。
これが厄介だが、人間としては自然な流れ。

なので、あくせく、健康寿命を全うしようと頑張る。
全うしないよう、終わりが来ないよう、長らえるよう、頑張る。
あくせく、あくせく、頑張る。
働きバチのように。
もう働かなくてもいいのに、頑張る。
一生懸命だ。
後悔したくないから、今を、一瞬一瞬を無駄にせず楽しみたい、と、積極的。
病気になったら出来ないことから順序として優先的に行動する。
渡っている桟橋が後ろから壊れてくる切迫感?
弱る前に、先に楽しんでおかねば、、、と。

後悔先に立たず、とはよく言われている。
誰だってそうだ。
親孝行、したい時に親はなし。
だが今は人生100年時代なので、自分の健康寿命を楽しむどころか、老老介護。
これは結構しんどい。
ポツンと一軒家を見て、癒されるのは良いが、老老介護真っ最中の人は、見たくないだろう。
介護がないからと言って、高齢独居も寂しい。
賃貸住宅を借りるのも一苦労。
色々だ。
悲惨な事件も後を絶たない。

焦点がまたまたぼけてきた。
話を広げすぎると、まとまらない。
やたら長い。


話を戻す。
実年齢より10歳先に歳を取っているわたし。
10歳一挙に増えたのか?
あるいは、1年1年、少しずつ増えて行ったのか。
1歳ずつ減らしていくのが、正しい理想的なオススメ晩年なのだろうけれど。

と、ここで、話が変わる。
ちなみに、ハリソン・フォード。
御歳、80歳。
インディ・ジョーンズ、最新作を一昨日、観た。
6月30日封切りの「運命のダイヤル」。
ハリソン・フォードは、インディ・ジョーンズはこれがラスト作だとか。

映画冒頭。前半。
まあなんとお若い、、、と思いきや、3年の年月をかけて精鋭陣営がCG最新テクノロジーを駆使して作り込んであるらしい。
昔の映画の一部が流用されている!と、感じてもらえたら、しめしめだそうな。
それぐらい精巧に昔の若いハリソン・フォードに作り込んである。
わたしも最初は、おや?と驚いた。
あれ?こんなに若かった?
シーンが第二次世界大戦の時代から順々に時が移ると、やっと今の風貌のハリソン・フォードが現れた。
で、ちょっと安心した。
自宅で上半身裸のシーンがあるが、わざと裸を見せているという制作側の意図をわたしは勝手に汲み取った。
美しいから見せているのではない。
堂々とした80歳の肉体美。
シニアボディビルダーは別として、あの年齢であのボディは素晴らしいと思った。
余計な脂肪はなく、やはり食や生活を摂生したり鍛えたりしていると想像する。
22歳も歳下の若いお嫁さんと結婚すると、ああなるのか、ああなるから、若い女性と結婚できるのか、
卵が先か、鶏が先か。
若さには、エネルギーが詰まっている。
シニアには鼓舞されるものがあり、応援したくなる。
あくまでも称賛、応援で、わたしはやはり実年齢より10歳上。
だが、健康なら言うことなし。

なるようにしかならない。
なるようになる。



ぬるいぼんやり日記

2023-07-11 | 日々のこと
NHK TV「映像の世紀バタフライエフェクト」を昨夜見た。
JFK一家。
その後、Wikipediaで一通り関係各人を調べた。
昔の人は、子だくさん。
何を難しいコメントを書くのかと思われたかも知れないが、感想があまりにも、気が抜けたことだろう。

両親には優秀な子供たちがたくさんいて、男子は早く世を去り、女性は超長生き。
今も昔も同じ。

ファースト・レディのジャクリーンさんは結婚生活面では幸福とは言えないが、注目を浴びることにおいては歴史に残るだろう。
実家が資産家で、高学歴で、バイタリティがあり、チャーミング。
嫁として前二つの条件で、ケネディさんの父親は大賛成。
マリリン・モンローよりずっと乗る気だっただろう。
だが、政治家は人気商売。
超大国アメリカの大統領にまで上りつめるのはスゴイ。
とは言え、次々と内幕を暴露されると、夢が萎む。
が、実践したことは評価される。

ケネディ大統領のおじいさんは、アイルランドから1849年にアメリカに移民として渡った人(初代)の子供で港湾労働者からの叩き上げ。
この人は父親が亡くなった年に生まれているが、苦労の後にチャンスを掴んだのだろう。
その次世代の、ケネディ大統領の父がまたやり手。
アメリカンドリームが詰まっている、激動の大きな時代。
頭の良い人が生き馬の目を抜き勝ち抜く。

しかしながら、凡人女性(わたし)の目から見ると、あんな夫は願い下げ。
上司や仲間や同窓生なら良いが。
女性関係にだらしない人は、ダメ。結婚してはいけない。
そんな人は恋人を年がら年中、取り替えるとよい。

逆に聖人君主は気難しかったりするし、何から何まで完璧な人はいない。
特に英雄は色を好むとかで、あちこちに女性がたくさん。
嫌だなと思う。
わたしは普通の暮らしの人間で本当に良かった。
地位も名誉もいらない。
毎週、生協(coop)で好きなものを注文できるぐらいのお金があれば十分。
と言いつつ、1ヶ月、生協代金だけでは収まらないが。
好きなことが好きな時に出来る自由な身が最高の幸せだと思うが、そういう自由な身になると、意外に気が抜け、やる気がなくなり、退屈して虚無感に襲われることだろう。
何かしら、思うままにならない、不自由な面を抱えているほうが、「スイカに塩」で良いと想像する。
逆ベクトルエネルギーが必要。

のほほんと、のんびり生きていると、幸せではあるが、キレがない。
かといって不幸を手をこまねいて待っているわけではない。
不幸は全力で阻止しなければならない。

と、焦点がぼけた話になっている。
話を戻す。
英雄には英雄の苦悩があり、凡人には凡人の苦悩がある。

話はころっと変わる。(次から次から落ち着きのない子供のよう)
またまた有吉佐和子の本を買ってしまった。
先週TV番組で終了した、「悪女について」。
単行本の帯には、田中みな実さんの写真が印刷され巻かれていた。
TV放映に便乗して売り上げを伸ばそうという、見え見えの手に、まんまと乗っている。
今度は日曜日に読み終えた「助左衛門四代記」よりも、だんぜん字が大きい。
そこかい!
というような感想、第一声である。
新品を買ったのは久しぶりで、なんだかウキウキしている。
いつもは、古本をネットショップで買っている。
今回は誰の手にも触れていない新品だから大事にしよう。
とは言え、昭和53年(1978年)ごろの作品ではあるけれど。
それならネット書籍はどうなる?
古本も新書も、電子!

ちなみに、最近わたしは目が益々悪くなっているようで、あまり長時間、こんをつめて目を使えない。
なんでもかんでも手当たり次第好き勝手に読まず、時間はたっぷりあるからといっても、限られた資源(生身の人間の眼)だから駆使する対象を選びなさいという神の声か。

今日のブログはとてつもなく稚拙。
冴えない。ぬるい。どよんと間抜け力、全開。
どうも脳の血流が悪いようだ。
こんな日もある。




忖度、苦手

2023-07-10 | ブログ
わたしは、いわゆる忖度(そんたく)というのが大の苦手で、いつもそれで評価を下げている。
感動したり好感を持っていたりしても、あまり本人には伝えない。
ましてや、自分のブログに賛同していただいていても、お礼の挨拶にも伺わない。
他のブロガーさんを見ると、たくさんのお付き合いをされている場合がある。
わたしは、一切しない。
心は大変痛むのだが、この忖度なしの無神経な行動には理由がある。

わたしはブログは長く続けていて、一種のライフワークとなっている。
その場その場で出会う方々もおられる。
その当時を思い出すと懐かしい。
が、1人のブログに長くお付き合いいただくことは、滅多にないと思う。
長く繋がりがあるのは、ご縁である。
ご縁は、大切にしたい。
かといって、無理やり、頑張るのは望まない。
何でも自然体が良いと考える。

求めるもの、求める時期が一致することがある。
それは偶然の賜物。
永久的なものではないと思う。
わたしもあまり期待していると、寂しい悲しい目に遭うだろうし、今までにもたくさん経験してきた。
相手にプレッシャーを与えてはいけない。
一歩引くスタンス。
ではあるが、わたしのこころの宝物になっている。
ブログで繋がるご縁は、大切に大事にしたい。


調子がすこぶる悪い

2023-07-09 | 日々のこと
コロナワクチンを打った。
後がよろしくないこと、この上ない。絶不調。
打ったあとが痛いし、熱っぽいし、頭痛。食欲皆無。
健康は大事だとつくづく思う。
寝ておきたいのだが、そういうわけにもいかない。娘一家が夕食を食べに来る。

ちなみに、有吉佐和子の大河小説を読み終えた。
コロナワクチンもあり、どっと疲れた。
気力は健康でなければ湧き出て来ない。

それはそうと、夫が寝室のエアコンをつけっぱなしにして外出していた。
朝7時に出かけて、気づいたのは14時過ぎ。
電気代、エネルギーの無駄遣い。
コロナワクチンの後、わたしは具合が悪かったので自室で寝込んでいたため、発見が遅れた。

夫とはエアコンの好みが合わず、一方的に合わせている。
夫は一切、妥協なし。
ただただ一方的にわたしが合わせている。
それなら話し合いすればいいではないか、と思われるだろうけれど、話し合いの余地はない。
わたしがひたすら一方的に合わせている。
いつもエアコン闘争に余計なストレスを受けるのは避けたいので、早めに自室へ引き上げる。
負けて退散、撤退。

なぜ、わたしはこんなに弱いのだろう。
長女一家では、長女のツルの一声、女帝が君臨している。
我が子ながら、なぜ、こんなにも違うのか。
これは、人物の組み合わせによると思う。
強い者同士なら、喧嘩ばかり。
強い人と弱い人が組み合わされているから、うまくいく。
て、いつも負けている娘婿、ストレス溜まらないのだろうか。
気の毒である。
どこかで帳尻を合わせて埋め合わせをしているのだろうか。

今日、読み終えた、有吉佐和子の大河小説。
幕末の庄屋の家、「助左衛門四代記」。
はあ〜。疲れました。
頭痛は益々強まるようなかんじ。
とは言うものの、江戸時代後期はぐいぐい読み込んだが、明治になってから面白くなかった。
中に紹介されている古文書資料が難しすぎて、ちんぷんかんぷん。
英文読解をしているかのごとく。
でも適当に想像して、わからないところは飛ばして、読み進めた。
読み応えはあった。
自分が作った年号資料と照らし合わせながら、読んだ。
小説というよりは、あれはお勉強だ。
国語と社会の自習、やっと終わった。

他の人が聞くと面白くもなんともないだろうけれど、人それぞれ、いろいろ趣味がある。


大量に、ぐちぐち

2023-07-08 | ブログ
わたしのブログの存在をリアル人は知っているのに、それでもブログを「書く」ということはどういうことか。
お天気の話や時事ネタ、スポーツ、推し活を書いても、書く方は面白くない。
読む方はもっと面白くない。

まだブログを始めていなかった頃、母に連れられ参加したテーブルマナー講習会で、初めて顔を合わせた女性のブログを知った。
年齢はわたしより10歳弱ぐらい歳下?
その人はやがてわたしのブログにも訪れ、やりとりをしたことがある。
わたしの憧れの暮らしをされていた。
華美なものに囲まれ、日々、高級素材を駆使したグルメな食卓、ティータイム、、、マリーアントワネット的なゴージャスライフ。
でも、読むのをやめた。
おそらく、さらっと読む分には楽しいが、深く読むと、自分の信条との違いが浮き彫りにされ、心地よくなくなるからだろう。
なんでも、表面的に、さらっと、が無難。
決して否定するのではなく、目の保養になる上澄液だけを養分にいただくとよいのではないだろうか。

自分と他人との違いを見つけて、刺激材料にするのもよし、自分の道を再確認し、肯定するのもよし。
あまり深く入り込むと必ず嫌な面や受け入れられないところが見えてくる。
長所短所、どちらも含めて人は形成されている。
追求するのは、ほどほどがよい。
これは、他人に対してだけでなく、自分に対してでもある。
腹八分目。足るを知る。

ブログに話を戻す。
ものすごく近い関係の超・身内(わたしと同じ学年)がいて、ブログを書いていた。
わたしのパソコンやインターネット関係はすべて彼女の手解きから始まっている。
お互いのブログの存在は知っている。
具体的には、蝶ブログを彼女は知っているが(ふとしたことで、わかったそうだ)、わたしは彼女のブログ名を知らなかった。
あえて知ろうとはしなかった。
彼女は日々、あったことを書き連ねているので、それを知ることはお互い、色々まずいから。
彼女はわたしの母と同居していたこともあり、わたしは実家の生活にはあまり首を突っ込みたくなかった。

その後の話はあるのだが、まだ書く気持ちにはならない。
わたしの中で、完全に消化できたことなら書くが。
一生、書かないことは、山のようにある。
捏造や嘘は決して書かないが(勘違いや覚え間違いはあるかも)、書かないことも結構ある。
こころの奥にしまって鍵をかけていることは表には出てこない。
時効が来たら出るのかも知れないが、それはわからない。

話はまたまた逸れる。
趣味分野のお遊びのことは、どんどんブログに書いて発散している。
わたしの趣味はブログでもあるし。
小説を書くという手もあるのだが、虚実とり混ぜるのが、なんだか作り物には気が乗らない。
ドキュメンタリーが好きな所以だろう。
小説を読むより、ウィキペディアで事実を調べていって、自分の頭の中で、当時(歴史上)の事実ストーリーをつなげていくが面白い。
史実上の人物を扱う小説は作者のフィルターがかかっているので、その色に影響されたくないなら、何人も別の作者の手による人物小説を読むのが良いかも。
あちこち情報を調べて、それを元に自分が組み立てるため、自分のフィルターがかかる。
意外に楽しい。
ChatGPTは、要らないかも?
いや、もっと充実するかも?

自分で調べて組み立てるところに妙味がある。
とかなんとか、今、有吉佐和子の古い作品を読んでいる。
昔の仮名遣いが難解。
それを見た次女が言っていた。
昔の単行本が嫌いな理由は、字が小さいこと、なんだそうだ。
あんなに若い次女でさえ字が小さく感じるなら、わたしはどうなのか。
わたしは逆老眼で、メガネを外すと小さい字もオッケーなのだ。
近距離以外は、ぼけぼけぼんやりであまり見えないが。
なので、パソコンよりスマホのほうが、見えやすい。

ちなみに、わたしのことをスマホ狂のように言う人(Aさん)がいるが、無視している。
話はまたまた変わるが、
その人こそ、わたしからすると、すごく恥ずかしい。
先日、コンビニでおにぎりを買った時、その人はスマホで払おうとした。
なんと言ってスマホを出したか?
「おサイフケイタイで」

これには店員さんが、は?という顔。
「おサイフケイタイ?」
と復唱されていた。
わたしは、ひっくり返りそうになった。
それじゃわからない。
電車の改札口をお金しか入れてないサイフをタッチして入ろうとするようなもの。
かざすバーコードなりQRコードなりを画面に出して準備しなければならない。
後ろにも人は並んでいる。

政府広告である、コンビニレジ前の高齢女性が支払いに戸惑っていると、後ろのコワ面の兄ちゃんが「大丈夫だよー」と、優しく待ってくれる、あれ。
人は見かけによらないし、そんなにビクビクオドオドしなくてもいいんだよ、
という、あれ。
あのラップ仕立ての広告が頭をよぎった。
が、、、
Aさんは日頃からわたしに「スマホばかりいじっている」と非難めいたことを言う割に、その一方で、自分もスマホでチャレンジしてみようという気はあるようだ。
が、気持ちはあっても、あまりにも人任せ。
前もLINEがうまく繋がらず、待ち合わせリアルタイム連絡が取れないで困った時があった。
そのLINE復旧の時の提案が、なんと、携帯電話会社の店舗に出向いて、やってもらおう、というものだった。
わたしは、これにも、のけ反った。
違うでしょう?
解決方法、そんな携帯電話会社じゃないでしょう?
まずは原因や対策を、googleなどで検索してからでしょう?
あまりにも丸投げしようとする姿勢に驚いた。
わたしが調べている間も、まったく自分の携帯に触れようともしない。
まだあ?と、何もせず問うてくる。待ちの構え。
しかも、原因はAさん側にあったにもかかわらず、まるでわたしが犯人かのような悪びれない態度。
あれには参った、懲りた。
そういう意識なので、コンビニレジでも平気で「おサイフ携帯で」などと言ってのける。
その次の、d払いやPayPay、楽天ペイなどの画面を全く用意していない、その神経たるや、強者である。
前に支払えた店もあったから、とご本人の弁。
ではあるが、、、せめて、かざす画面は用意していただきたい。

不慣れなことも少しずつチャレンジするのは結構な試みである。
子供に設定してもらったくせに自慢するよりは、ずっとマシ。
だが、、、元々どんくさく、同じぐらいわたしも不慣れで不得意なのに、それでも頑張って使いたい箇所は使いたいと努力しているのに、人に丸投げするのはやめてほしい。
しかも、わたしを、一日中スマホをいじってゲーム狂でもあるかのごとく言うのはどうかと。(ゲームは嫌い)

やはり頭の柔軟性や回転の良さは年齢にもよるが、生まれつきのものもある。
わたしは、家族の中ではとんでもないダントツ劣等生であるが、一歩外に出ると、わたしがイライラする場面にも遭遇する。
もちろん、イライラされる場面はかなりある。
人には優しくしないといけない。 
へんに丸投げのくせに(自分でできないくせに)、マウント取りたがる(優越感に浸りたがる)人がいるが、疲れる。
家族メンバーは厳しいが、マウントを取りたがるキャラクターは一人もいない。
童話「幸せの青い鳥」の青い鳥は家にいるパターンのようだ。