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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

若げの至り

2023-07-28 | わたし
わたしは美容整形ネタが大好き。
自分とは全く関係ないし、高齢者であるわたしは、今後の展開にも影響はない。
にもかかわらず、好きなのだ。

インターネットでは美容整形外科広告が盛んに行われている。
その中でやり手の若い美容整形外科医が、新卒の後、心臓外科から若いうちに転身している経歴を見ると複雑な心境。
心臓外科は命に直結する重大な科。
そこから同じ手にするメスを、命に直接関わりがなく、しかも保険がきかない自由診療へ。
まあ、ドクターにもいろいろいるし、大きな大学病院に行っても形成外科はあっても、美容整形外科はないのでは?
病気とは言えないからだろう。

健康な身体にメスを入れるのには、古い昭和世代のわたしには抵抗を感じる。
が、今は、価値観が変わっている。
同じような流行りの顔が量産されるのを見ると、映画で見たことがある人造人間のようだ。
流行りが変わると、顔もチェンジするのだろう。
ファッション、洋服のようなものか。

ではあるが、断捨離と同じで、こころ、精神を改造する効果を生み出すことがある。
長年抱いていたコンプレックスから解放され、さらに自信を持てるようになる。
すごい。
顔一つで、こうも呪縛が解き放たれるとは。
とは言え、何度も繰り返して納得いくまで手術し続けたり、失敗例もあったり、術後はメンテナンスが大変だったり、努力とリスクがつきもの。
努力の後に手に入れたお気に入りの顔やボディは、何ごとにも変えられない達成感があるようだ。
これは美容整形に限ったことではない。

だが、美容整形インフルエンサーなどの経歴を見ると育成歴に病理を抱えているケースが目立つ。
親からの虐待、自己否定が主。
ルックスでクラスメイトにいじめられたり、も。
かわいい女子はモテモテで、かわいくない女子は冷遇される。
知れば知るほど、我々の時代には日常茶飯事にあった出来事のような気がする。
昔の時代の話を持ち出して、時代錯誤と言われそうだが。
時代が変われば、価値観が変わる。
一方で変わらない価値観もある。

モテモテでもやがて頭打ちの時が来る。 
見た目だけで優遇されるのには限界がある。
評価対象は中身だから。
若いうちはそれに気づかない。
そういうものである。
もし、わたしが母親で娘が美容整形したがるとすると、極端な病的リピーターでなければ目をつぶると思う。
問題は、やり過ぎること。
尋常を逸するのは良くない。
自分の気が済むのであれば自己責任でやるのも、犯罪など、ひとの迷惑にならなければやむを得ない。

かく言うわたしも若い頃、母の言うことを聞かずに、超オススメの男性と結婚しなかったことで、かなり悔やんでいる。
なぜ、あんなに良かれと薦めてくれたアドバイスを跳ね除けてしまったのだろう。
若気の至り。
あれ以上の人はいなかったのに。
若いということは、そういうものだ。
だが、それ以来、ずっと「親の言うことは聞くものだ」、と肝に銘じている。
今の幸せは、2番手である。
なんでも2番目ぐらいが良いと言われているので、まあいいか。(→負け惜しみ)
第一希望で突き進んで行くと壁にぶち当たった時に挫折して乗り越えられない可能性がある。
なので、最初から理想から一つ落としているぐらいが力が抜けてリラックスできるかも。
とは言え、やはり親の言うことを聞かなかった自分の、若さ故の突っ走りには苦い思いが付き纏う。
選択しなかった方の過去を振り返っても意味がない。
それは重々わかっているのだが、若気の至り。
ああ、親の言うことを聞いていたら、苦労を買って出るようなことはなかったのに。
残念無念。
仕方ない。身から出た錆。誰を責めるでもない、選択したのは自分。
自己責任。

話は戻る。
美容整形も自己責任でやっているのだろうけれど、取り返しのつかないような事態になって悔やんでも悔やみ切れないようになっても、本人が受け止めるしかない。