蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

体調悪化は、なぜ?

2024-05-12 | お出かけ
さて。
今日は疲れた。
毎日、そう言っている。
疲れた、と言わない日は、何もすることがなく退屈だった、と嘆く。
悪い状態だ。
やはり、ミニ鬱?
かなり体調が悪い。
医療機関に出向き、受診しようかと思うぐらい。

お墓の写真をバシバシ撮ったから罰が当たった?
12キロ、ウォーキング、白洲次郎のご先祖様を巡る。参加者は90人?
お墓のあたりから急に体調が悪化した。
「お墓の写真は撮ったらだめ、って言われてますね」と、参加者の女性の言葉が妙に引っかかる。
宗教分野、スピリチュアル分野は、ひとそれぞれ好みがあるから、何も感じていない人にとっては、鬱陶しいことこの上ない。

かつて、姑Aの「占い」に家族中、いや、親戚中が、振り回された。
わたしは、たまたま強いメンタル(無神経、鈍感)だったため、(それと打算=言うことさえ従っていたら、あとは全くなんのクレームももたれない)姑Aの占い内容に従った。
姉にも言うと、姉は、姑Aの占い内容を一切姉には知らせるな、とわたしに釘を刺した。
気が悪いからだ。
人の運命や行く道を、いちいち占いで指示されるなんて、鬱陶しい人にとっては鬱陶しいだろう。
指示に従わなかった人の運命の下降線を確かめて、生きた見本、材料にするあたり、本当に気が滅入る。
ほらほら、やっぱり事故、病気、不幸はあのせいだ、なんて、タチの悪い新興宗教のようだ。
あまりにも姑Aが熱心(うるさい)ので、皆んな、渋々従っていた。
やがて晩年、姑Aは自分の健康だけで精一杯、人のことに口を出すほどの余力がなくなって、占いどころではなくなったようだ。
家族のことを思う気持ちはよくわかるが、迷惑以外の何ものでもなかった。
家族の安全や無事を祈るのはお百度でも踏んで自分の行動で完結してくれるならよいが、「◯年◯月に、◯◯に移動しろ」などと、いちいち人の行動を指図されるのは有り難くもなんともない。
姑A自身の安心を得るため、不安を払拭するために家族は振り回されていた。
人には、なくて七癖とはよく言ったものだ。

断れば済むこと、拒絶すれば良いことなのだが、姉のような強い心を持っていないわたしは、姑Aが何も指示しなくなるのを待つだけだった。

舅も夫も姑Aの言いなりになっていた。
姑Aは真面目で良妻賢母で優れた良い人なので、ひとつぐらい意思を通す機会があってもよい、と考えた?(わたしも、そう考えたうちの一人)
それで、あとは丸く収まるなら。

大きな目で見ると、ささいなことかも知れない。
だが、ことあるごとに嫌な気持ちを思い出す。
やはり、不満、鬱憤、怨みを抱えたまま解決せず、後々、その後世まで持ち越されるのは良くない。
一代限りなら、当人が亡くなると鬱憤も消える。
けれど、人には良い面も嫌な面もあるのは、皆、同じ。
断り、拒否できなかった自分にも原因はある。
人間は弱いものだ。
ストレスの99%は、対人関係かららしい。

※写真は、昨日撮影、日本初の民間博物館。今は石碑のみで現存していない。








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