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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

押し付けがましい、幸福への道案内

2017-09-20 | 日々のこと
スマホの画面に、あれこれ広告が出る。
出ない時はないぐらい。
中には、画面のど真ん中を横断する、チカチカする帯CMがある。
あるブロガーさんのお気に入りブログなのに、そのCMが著しく目障りで、記事の中身に集中できない。
ブログを書いているご本人は、自分のスマホブログ画面がそんなことになっているとは、おそらくご存知ないと思うが。
どうも、あのチカチカには、頻繁に訪れる気力を奪われる。
いくら無料のブログとはいえ、無理やりCMは、やりすぎではないか?

と、長い前置き。

スマホ画面CMの中に、断捨離セミナー勧誘みたいなものがある。
CDや、テキストの購入を促すようだ。
べつに、買わなくても、イントロ導入部だけで、十分役に立つ。
「もっと知りたい方は、コチラ→」となって販促につながるのだが、そこまで読めばもう中身を知ったようなものだ。
そのCMは、かつて何度も読んだことがあるのだが、またまた今朝も読んだ。

で、、、感想。

断捨離、自分でします。
なにもテキストがなくても。
というか、断捨離、しません。
わたしは、両極端の逆ベクトル同士が引っ張り合って成り立つキャラクター。
中庸はない。平均値は、真ん中。
なので、モノに対しては、必要な品は、ゼロか、全て。
断捨離するなら、全て捨てる。
断捨離しないなら、全てのモノをお取り置き。
そして今は、断捨離しない人生時期。

CMでは、不仲で冷え切った夫婦が、断捨離で会話も増え、笑顔、笑い声が響き、ご近所やお友達からも、その変化に驚かれている、とのこと。
借りに我が家なら、断捨離したら、ただでさえ隙間風ビュンビュンなのに、一気に破綻するだろう。
夫はモノを整理しない、捨てない人。
勝手に捨てたら怒るので、いちいち聞くと、返事は全て「捨てずに置いといて」。
自分の分でも必至の努力なのに、夫の分がそうなら、断捨離ストレスが爆発する。
ましてや、夫の実家には、めまいがするほど昔からの物品が、どどどんとあるが、それは生活空間からは分離され、生活を脅かさずに完結している。
昔の暮らし民俗資料館となっている。

夫婦関係が破綻するだけでなく、精神的に病気になったら、
断捨離提唱者の方、責任とってくれます?

提唱者に責任の所在を求めるのは、当然間違っていて、提案を取り入れるのも、取り入れないのも、こちらに能動的な選択肢がある。

断捨離する気もないのなら、反対意見をぐだぐだ書くのは、意味があるか?
全くない。
断捨離CMを見て、自分の考えを再確認しただけである。

どんな考えか?
人それぞれだなあ、と。
断捨離は、モノだけでなく、こころの整理、人間関係の整理を行うもの、とのこと。
子供に手もかからなくなり、老いていく不安にもかられ、こころに、ぽっかり穴があいている、アナタへ。

自分基準で断捨離すればいい。
他人に導かれ、他人基準の断捨離なんか、もっての他。
他人と自分が、同じわけがない。

人間、老いるのは当たり前。
あまりある時間で、生物学の本でも読めばよい。あるいは哲学書。
(すぐに眠くなって、ほどよい快眠)
なにをしていいかわからない、なにもすることがないなら、ボランティアをすればどうだろう。
ただし、押し付けがましいのは暑苦しい。
なにもしなくていい時間が、溢れかえる状態なんて、最高の時間だと思う。
断捨離して、モノやこころが片付いた後に、さあ、自分のやりたいことが見つかった!とばかり喜んだ途端に、自分の自由タイムが終了するかも知れない。
断捨離する暇があったら、先にやりたいことをやっておいたほうが悔いが残らない。
やりたいことがない人は、ギャンブルや薬に溺れるぐらいなら、断捨離して時間潰しをするほうがよい。

なんて、断捨離に毒づいているのか、チカチカうるさい広告に毒づいているのか。
今朝は、毒づく対象が見当たらなかったので、待ち時間にブログってみた。
思えば、わたしは、いつも待ち時間。
待っている時間のほうが大事なものが詰まっているのかも知れない。

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