蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

品格

2014-04-19 | 人生
最近、わたしは、こころが変ったように思う。
性格は、前のままだが。

世の中を斜交(はすか)いに見るのは、たんなる趣味。やぶにらみ社会学。
べつに、それで、愚痴ったり、非難したり、そんなことをする気はない。
直接、自分に害を及ぼさないものに対しては、深く関係がない。

マイナスのことを口走らなくなった。
なぜなら、口にすると、実際に本当になってしまいそうだから。
不吉なことは言わないほうがいい。
言う人も、聞く人も、気分が悪い。
趣味の悪い冗談も避けるようになった。
あえて、自分も他人も、気分を悪くさせるようなことをする意味がない。

無理やりではなく、自然に、明るく前向きにいきたい。

自分の年齢を考えて、品格が欲しくなった。
あいかわらず、あほなことを言ってばかりの、お茶目すぎるキャラはイタいが、
それはそれとして、やはり、品格は必要である。
教養は努力するなり、勉強するなりして身につくが、
品格は自覚してもしなくても、なかなか身につかない。

その人の生き方、考え方みたいなものも、大きく影響することだろう。
顔や物腰、雰囲気に出るかも知れない。
「品格があると見られたいから」という理由では、絶対に品格は身につかないと思う。
作為的には、無理だろう。
かえって、逆効果。
それこそ、どう隠そうとしても、品格も卑しさも、身から滲み出るものだろう。

・・・

最近、わたしは、自分を肯定するようになってから、とても明るい見方ができるようになった。
モノゴトが良い方向に向くよう、考え方を変えると、自然と、ふわっと浮くように、こころが躍り、軽くなった。
悩んでいたり、疑問に思っていたことが、ある日、ことんと答えが出たようなかんじ。

自分は、自分の人生を生きる。
他の人の人生ではない。
すると、自分や、自分の家族、まわりの人たちを愛しむ気持ちが生まれる。

愚痴っている人を見ると、自分を肯定できないのだと感じる。
否定したい気持ちもわからないでもないが、自分を自分が否定したら、いったい誰が肯定してくれる?

わたしは、自分の欠点や嫌な点を冷静に客観的によく知る。
そのことに、いつまでもいつまでも、四六時中、とらわれない。
今ある幸せを大切にしたい。
人のことには、首を突っ込まない。
「助けて」と、声をかけられたら、協力する。

・・・と、ここまで書くのは、ひと筆書きでもなんでもない。
何回も居眠りタイムをはさんでいる。
こっくりこっくり、非常に眠い。
つまり、書いていて、血湧き肉躍るわけではないということだ。

眠た~い、わたし。
まだまだ品格のある人間とは程遠いに違いない。

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